信州の古墳
* マウス説明文
⇒ 説明文 *このところ山城探索に時間を使っている。最初は近回りが中心だったが、遠出することが多くなり、古墳巡りを工程に加える。歴史的に山城は戦国時代前後の比較的短い期間だが、
古墳築造は5世紀代に始まり、6世紀後半から7世紀にかけてさかんに築かれ、
8世紀に入っても利用されていました。
ほとんどは規模の小さな円墳で、5世紀に造られた古墳の内部は石室がなく、
粘土床上に木棺を直葬したと考えられていますが、6世紀以降のものは、
追葬可能な横穴式石室に変わっています。
は長い期間に亘り築造されてきた。山城、古墳ともそんなに興味を持つものはいないと思っていたが、純粋に学術・保存のためばかりでなく、趣味を目的の人、山ガ-ルに似たオリジニナリティを求める女性等を含めて結構多いことがわかった。私は、学術とか歴史的背景を深く求める者ではなく、その遺構が現世に訴える神秘性とか、当時の生活を自分なりに想像することを楽しみに巡っている。古墳には数種類の8世紀に入っても利用されていました。
ほとんどは規模の小さな円墳で、5世紀に造られた古墳の内部は石室がなく、
粘土床上に木棺を直葬したと考えられていますが、6世紀以降のものは、
追葬可能な横穴式石室に変わっています。
古墳の形状前方後円墳 :死者を葬る部分を円形、その前方部を方形に突き出し
前方後方墳 :死者を葬る部分を方形、その前方部を方形に突き出し
円墳 :円形の墳丘
方墳 :方形の墳丘
帆立貝式古墳:前方後円墳の方形に突き出しが短いもの
があり、被葬者とともに大小の副葬品が祀られている。特に6世紀以降の前方後方墳 :死者を葬る部分を方形、その前方部を方形に突き出し
円墳 :円形の墳丘
方墳 :方形の墳丘
帆立貝式古墳:前方後円墳の方形に突き出しが短いもの
石室羨道 :玄室へ行くまでの通路
前室 :玄室の前にある小部屋
玄室 :遺体を安置する部屋
がある古墳には多種多様な副葬品が発掘されている。信州の多くの墓場にしだれ桜が植えられていて、古墳の副葬品とは何の繋がりもないが、死者の慰めのような気がする。古墳の大きさと副葬品の華美は権力の象徴と云われているが、そこまでして死後に思いを残したいのか。副葬品等は長い年月で散逸されたが、古墳の形だけは残っているので、その面では死者の思いは達せられているのか。古墳築造の権力者は、現世にどう血が受け継がれているのか思っていると、私のル-ツを知りたい気になった。前室 :玄室の前にある小部屋
玄室 :遺体を安置する部屋
信州の古墳巡りをしていると、隣県群馬県が古墳王国として数多くの大型の古墳があることを知る。当時の群馬県はヤマト王権とのつながりが強く、西日本と同様の大型の前方後円墳や豪華な副葬品など、歴史的な遺産が数多く残っている。そこで、群馬県の主要な古墳も、信州の古墳巡りに加えることにした。
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北信の古墳(長野市、千曲市)
東信の古墳(上田市、東御市、小県郡)
中信の古墳(安曇野市、松本市、大町市、北安曇郡)
南信の古墳(岡谷市、諏訪郡、諏訪市、飯田市、上伊那郡、下伊那郡)
群馬県の古墳
大阪府の古墳