(概要)
明治11年に石室が調査されました。狭くて長い石室は、まるで黄泉の国への入り口です。石室から
は土器、装身具、鏡、金メッキされた馬の飾り金具などの副葬昂が出土しました。詳しい調査記録か
ら、副葬自の配置状態や日本全国力、ら6000人にものぼる見学者があったことを知ることができま
す。さらに、明治13年に英国外交官アーネスト・サトウが調査に訪れました。
今回の調査によって周堀のほかに外堤と外周溝があり上段填fi(こ葺石があることがわ力、りまし よ己あなしきせきしつ ゆ力、めん ぎよう力、い
た。従来から門や扉があり複雑な構造とされた横穴式石室は、床面に加工された凝灰岩が敷かれ、
「べんがらjによって赤く塗られていることがわ力、りました。
また、円筒埴輪は大室古墳群の中で最も大きなものです。さらに根形埴輪(石見型埴輪)は遠く離
れた奈良県のものと良く似ています。
出土遺物には従来「四神付飾土器jと呼ばれた装飾器台(須恵器小像付筒形器台)があります。朝
鮮半島の南部のものと共通した小像が付けられています。(案内板、高崎市HP転記)
(アクセス)
大室公園南口駐車場まで、北関東自動車道 波志江スマートインタ-より4.5km10分、伊勢崎インタ-より5.7km15分程です。
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