安塚第6号古墳

(概要)
 安塚古墳は、元禄14年(1701)の古絵図にも「西安塚」として3基の古墳が描かれるなど、古くからその存在が知られていました。その一方で塚田、塚畑などの小字からは、古墳が水田や畑として開発され壊されてきたこともうかがえます。安塚の地名は「八十塚(やそづか)」に由来し、多くの塚があったためと伝承されています。また、東の秋葉原にも同様の古墳が5基確認されています。
 昭和53年(1978)に行われた県営圃場整備事業に伴う緊急発掘調査により、9基の古墳の調査が実施されました。古墳の築造時期は8世紀前半とみられ、これまで開発時期が新しいとされていた新村地区に、古代には奈良井川左岸の集落の水源を抑える有力氏族がいたことが明らかになりました。発掘調査後に現地保存された第6号古墳は古墳群のなかでは最も南に位置し、人骨や坏(つき)などが出土しています。石室は立石により3室に分けられ、奥壁の鏡石も残存し、蓋石とも思われる大きな石が落ち込んでいました。石室の全長は8.1m、同全幅は1.2~1.8mありました。
 この古墳は、地表下に梓川の石を用いて横穴式石室を構築した終末期古墳で、無袖式の長大な3室に区切られた石室は追葬を想定した家族墓的性格があり、この地方の特徴ある古墳として貴重なものです。(松本市HP転記)
(探索コ-ス)
 国道158号新村信号を松本空港方向に入り、松本電鉄上高地線を渡った直ぐの道を右折する。370m程行くと薬師堂があり、その前が安塚古墳です。 Map


安塚古墳供養塔
安塚第6号古墳から100m程のところにある。
背後から
石室
奥域8.1m、幅1.2~1.8mの無袖横穴式石室。

前画面に戻る