滝澤城

(概要)
 信濃の国仁科郷戦国の武将仁科家臣滝澤四郎城重が、滝沢地区に古城並に館を築城し、寛喜2年4月(1230)以来天文19年10月(1550)滝澤城が落城するまで320年間、戦に明け暮れる戦乱の世がつづいた。俗に戦国時代という。天文19年仁科盛能(別名道外という)が村井小屋城にいた晴信のもとに出仕し、降参している。このことは当地方にとって重大な決断であった。天文20年から21年に武田氏は平瀬城小岩岳城を攻略し、細野城外筑北諸城を攻め残敵掃討にとりかかる。北信の一部を除き武田氏の支配下に入り、信濃国のうばいあいは一応集結となる。武田軍によってつぎつぎに落城し仁科氏は孤立無援となって守城の士気は低下した。火をつけて焼き払うか城を捨てて逃げ去るか自刃するが、応援者なく、新天地に移動し、静かに天下情勢を見守る状況であった。 (滝澤城跡案内板転記)
(アクセス&探索コ-ス)
 県道51号滝沢信号を1.1km程田ノ入峠方向に進むと、滝澤城遊歩道案内の道標がある。近くに駐車場があったので留める。
 北ル-ト登口が200m先、南ル-ト入口が500m先と表示されていたので、近い北ル-トで行くことにする。道路を暫く進むと林道になり、段々狭くなってくる。間違っているのに気がつかず、ままこ落としまで行ってしまう。仕方がないので、そこを見学して舗装道路側に下る。道路を15分程かけて民家近くまで下ると、南ル-ト入口があった。気を取り直して滝澤城跡登口まで行き、500mの表示を見て一気に上がる。400m程行ったところで、北ル-トと合流し残り80mとあった。滝澤城跡は殆ど崩落して、僅かな地所を残すのみだ。帰りは北ル-トに進み、北ル-ト登口にはちゃんとした案内板があった。畑のなかを暫く進むと、道を間違ったところに出る。ここには何の案内もなかったので、道路を直進してしまったのだ。そこを左折すると直ぐに駐車場に着いた。 Map


滝澤城遊歩道案内
近くに駐車場がある。
滝澤城遊歩道入口
滝澤城遊歩道案内から500m行ったところで、近くに駐車場がある。
滝澤城跡南ル-ト登り口
滝澤城跡は南ル-トから500m程で、ロ-プが張られている。
滝澤城跡南ル-ト、北ル-ト合流地点
ここから滝澤城跡は近い。城跡手前に案内板がある。
滝澤城跡
写真の反対側は崩落している。早晩僅かに留めている城跡は喪失するだろう。
滝澤城跡北ル-ト登り口
滝澤城遊歩道案内から100m程行った所を右折する。直進するとままこ落としの方に行ってしまう。

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