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熊野古道高野坂・大雲取越・小雲取越

はじめに

  京都一周トレイル東山コースに続いて熊野古道に挑戦する。京都一周トレイルは区切りの場所の公共交通機関の便が良いので個人で計画する。熊野古道は公共交通機関が不便なのでツア-を利用する。
 熊野古道は熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野速玉大社の三山に向かう巡礼道をいう。京都・吉野・高野山・伊勢・田辺から、6本の道が続いている。全長が1,000km程で2府3県にまたがっている。6本の道はそれぞれ、伊勢からの伊勢路、吉野からの大峯奥駆道(おおみねおくがけどう)、京都から田辺までの紀伊路、高野山からの小辺路(こへじ)、田辺からの中辺路(なかへち)、田辺から海沿いの大辺路(おおへじ)と呼ばれている。その中で、2004年に紀伊山地の「霊場と参詣道」として200km程が世界遺産として登録されている。
 有名な巡礼道として四国88ヵ所遍路道、サンチャゴ巡礼道がある。四国88ヵ所は寺を順番に参拝する四国四県の巡廻道で、険しい山道があるが平坦部が多い。サンチャゴ巡礼道はサンチャゴ・デ・コンポステ-ラを目指して欧州各地から複数の道がありその一部が世界遺産に登録されているところは、熊野古道と似ている。しかし、サンチャゴ巡礼道は四国88ヵ所と同様、巡礼道に沿って多くの教会がある。また、いずれも拠点拠点に宿泊所と食事場所がある。熊野古道は熊野詣で賑わっていた頃には、宿泊所と食事場所があったが、今はすべて跡地を残すのみだ。
 熊野古道の世界遺産の道はどこにでもあるような山道で、違う点は歴史を感じられる石畳、多少の遺物と熊野古道に関わる歌碑があることで、他には何の変哲もない険しい山道としか感じられない。私みたいに、歴史的背景に疎く、信仰心に乏しい者にとって、世界中から数多くの人たちが熊野を目指して歩くのか俄かに信じ難い。
 今回の熊野古道のバスツア-は、1日目が熊野速玉大社を参拝し、高野坂(広角)から入り、高野坂(三輪崎)に出る3km程のコ-スです。2日目が小口から入り、胴切坂・越前峠を経由して那智大社に出る16.5km程のコ-スです。到着後、那智大社と青岸渡寺の参拝、那智の滝を見物する。3日目が小和瀬から入り、百間ぐらを経由して請川に出る13km程のコ-スです。全コ-スに地元のガイドが付いていたので、個人旅行では叶わない多岐に渡る知識が手に入った。熊野古道に関する歴史的な背景だけでなく、古道の生態系や植生、紀州の風土や生活習慣、まわりの山系等の話を聞くことが出来た。
 今回実際に歩いてみると、3山を目指してこんなに険しい山道を歩いた当時の多くの人達の思いに少し近づけた気がする。熊野古道だという先入観が、そんな気を抱かせたことは否めないが、熊野の山域を目的地に向かってただただ伸びる歴史を刻んだ道から発する霊気にそう感じさせられたのかも知れない。多くの先人達の、苦難を伴う巡礼の旅に思いを馳せながら、3日間の巡礼を楽しんだ旅となった。


2022年12月4日(日) 曇り
安曇野IC(5:50 49分) ⇒ 辰野PA(6:39 3時間21分) ⇒ 御在所SA(10:00-10:20  1時間40分) ⇒ 食事処鬼瓦(12:00-12:40) ⇒ 熊野速玉大社Map(13:48)
熊野速玉大社(14:03 34分) ⇒ 高野坂_広角(14:53 38分) ⇒ 鯨山見跡(15:31-15:36 24分) ⇒ 高野坂_三輪崎(16:00)
熊野荒坂津神社下(16:30 50分) ⇒ 川湯温泉山水館川湯まつやMap(17:20)

 今回のバスツア-は長野県全域と山梨県の一部を対象に総勢32人の参加者となる。従って7ヶ所程で参加者を拾うので、全員揃うまで相当時間を要す。安曇野を5時50分に出発し、昼食を摂る尾鷲の食事処鬼瓦まで6時間10分かかる。30分程で食事を済ませ、本日最初の観光地の熊野速玉大社に向かう。熊野速玉(くまのはやたま)大社は、熊野速玉大神と熊野夫須美大神の夫婦神を主祭神に熊野の神々を祀る。赤塗りの神門を抜けると左手側の拝殿から右方向に上三殿、八社殿と朱塗りの社殿が続く。境内には天然記念物に指定される樹齢1,000年のナギの巨木がある。一通り見学して、最初の熊野古道の取りつき高野坂(広角)に向かう。途中、参加者の要望によりみかんの直売所に立ち寄る。
 高野坂の国道入口から民家の間を300m程行くと、熊野古道の高野坂(広角)入口がある。そこの線路下を潜ると太平洋に出て、王子ヶ浜が遠くまで続いている。本来熊野古道はこの海岸沿いにあったらしいが、今は波の力によって消滅している。最初は木段から始まり、14時53分に熊野古道に足を踏み入れる。上がった所に最初の念仏碑がある。少し行くと王子ヶ浜の展望が開ける所がある。古道の両側にシダが目立ち始める。中には2m程のものがあり、葉の裏が白いことからウラジロと命名されている。正月の注連飾りや重ね餅などに使われている。この熊野古道は年間を通して緑の木々で覆われているという。
 さらに進むと、目印になる石像がひっそり佇んでいる。入口から30分で鯨山見跡分岐に達する。左に折れ鯨山見跡まで往復する。途中金光稲荷神社まで95mの道標があったが立ち寄らなかった。そこには鯨に関わる羽指中建立の石祠がある。また季節外れの花が沢山咲いていた。鯨山見跡は日本遺産に登録されているが、海が見渡せる展望台といった感じだ。
 鯨山見跡分岐に戻り、再び高野坂を歩き始める。そこから両側には畑の石垣があり、石畳の坂道が続く。15分程で高野坂(三輪崎)の道路上に出る。熊野荒坂津神社下に待機していたバスに乗り、今夜の宿の川湯温泉山水館川湯まつやに向かう。宿泊は川湯まつやで、夕食と温泉は隣の川湯みどりやとなっている。

2022年12月5日(月) 曇りのち雨
川湯温泉山水館川湯まつや(7:40 40分) ⇒ 小口(8:20)
中辺路_小口(8:24 1分) ⇒ 大雲取入口(8:25 19分) ⇒ 道標28(8:44 6分) ⇒ 円座石(8:50 14分) ⇒ 楠ノ久保旅籠跡(9:37 48分) ⇒ 胴切坂表示板(10:25 13分) ⇒ 越前峠(11:04 39分) ⇒ 石倉峠(15:34 20分) ⇒ 地蔵茶屋跡(12:03-12:30 57分) ⇒ 色川辻(13:27 29分) ⇒ 舟見峠(13:56 5分) ⇒ 船見茶屋跡(14:00-14:07 38分) ⇒ 登立茶屋跡(14:45 18分) ⇒ 那智高原公園(13:57 1時間2分) ⇒ 青岸渡寺(15:57 5分) ⇒ 熊野那智大社(15:59-15:19 17分) ⇒ 那智の滝(16:20-16:30 40分) ⇒ 新宮ユーアイホテル(17:10)

 昨夜は暗くなってから、川湯みどりやの河原にある混浴露天風呂に入ったので周りがよく見えなかった。今朝あらためて露天風呂を見に行く。7時からの朝食を済ませ、川湯まつやを7時40分に出発する。大雲取越入口の案内は、道路の側壁に沢山の看板に混じってあった。そこを左折して150mと表記している。
 中辺路(小口)の入口に立っている29の道標から道路を暫く進むと、大雲取越入口・階段登るの標識があるので、そこから右側の石段を上って行く。番号がある道標は500m間隔に設置しているので、ここから那智大社まで14.5kmあるということです。番号を逆に辿るため、目的地までの距離が解り易い。大雲取越ルートは熊野古道で大峯奥駆道に次ぐ険しさを誇る。歩き始めた途端に石段の急坂が続く。道標28まで20分程要す。このペースを続けると、休憩なしで9時間40分かかる計算だ。
 道標以外の最初のランドマ-クは円座石(わろうだいし)だ。石に梵字で
熊野三山の本地仏
向かって右から阿弥陀如来(本宮)・薬師如来(速玉)・観音菩薩(那智)
が表現されていると説明があり、石全体が苔むしているが模様らしきものが見える。熊野古道を歌った最初の歌碑が道標27付近にあり、ここから先随所に見られる。古道のまわりは杉や桧の植林と両サイドのウラジロでびっしり埋められている。最初の距離表示がある標識に小口2.1km、那智山12.4kmと表記しているので、丁度出発点から那智山まで14.5kmの計算だ。
 東屋がある地点で女性の修験者に会い、記念写真を撮る。後でネットを見ると、この女性はあちこちに登場する。
楠ノ久保旅籠跡
1.5kmほどの
間に十数軒の
宿があった。
に9時37分に着く。この旅籠は大正年代まで営業され、風呂まであったと記されている。背後には南無・・・と刻まれた大石が、つるに守られているが今にも落下しそうだ。所々に石像が鎮座している。生き倒れ者の供養仏か。仏の形を残している石像もあれば、苔むして形が崩れている石像もある。
 石畳の熊野古道は、やがて植林を縫うように続き、勾配も傾きを大きくしていく。道標23付近から、いよいよこのルートの核心部胴切坂にさしかかる。ここで一息いれて、思い思いのペ-スで登っていく。道が広いのは、篭を仕立てた巡礼をする高貴な人のためだという。途中に胴切坂の表示があるが、どこからどこまでが
胴切坂
小口から800m程ある標高差のうち、
楠の久保茶屋跡付近から越前峠付近
までの580m程の急坂。
かよく解らない。長い急坂だということは間違いない。ガイドの懺悔懺悔の掛け声に、六根清浄と唱和しながら登っていく。やがて胴切坂途中の急坂の突き当りに達して、左折するも急坂はまだまだ続く。ガイドの道標21付近で緩やかになる言葉を励みに歩を進める。
 やがて古道はフラットになり、両サイドは苔で覆われた大木が続く。その先に標高870mの越前峠がある。越前峠が中辺路の最高所となる。小口から標高差800m程を登ったことになる。案内板の横に土屋文明の歌碑がある。見晴らしがないので、一息いれるとまもなく滑り易い急坂を下っていく。直ぐに道標20があり、残りはまだ10kmある。越前茶屋跡の石段を登り左に折れる。その先の林道の合流点から急坂をひと上りすると石倉峠だ。
 石倉峠も見通しがきかない。傍に斎藤茂吉の歌碑がある。そこから下りの急坂は、石畳が濡れていて滑り易い。両サイドは倒木か伐採か解らないが、木々が積み重なって放置されていた。このあたりは隙間なく植林されている。写真のスポットになる場所だとガイドの説明がある。
 この先の道標17から、18までの木の道標から石の道標に変わる。そこを過ぎると石畳が途切れ、やがて林道が通じる地蔵茶屋跡の広場に達する。ここで昼食タイムを取る。12時30分に再スタ-トする。暫く林道を進み、道標14の先から山道の古道に入る。ここからは林道を付かず離れず進むので、自ずとペースが上がる。道標間を測ると、10分前後で歩いている。林道の合流点まで黙々と歩き続ける。林道を出た先に道標11があり、八丁の掘割の表示があった。そこは色川辻と呼ばれ、急な上りの石畳が暫く続く。ガイドによるとここが最後の急坂で、これからはハイキングコ-スだという。
 ガイドの案内どおり緩やかな道が続き、舟見峠(883m)に着く。その上部の船見茶屋跡に東屋が設けられていた。ここから東方向が開け、那智勝浦湾が一望出来た。
 舟見峠から何の変哲もない熊野古道を、道標数字のカウントダウンを見ながら登立茶屋跡まで下る。ここから那智高原公園まで1.4kmに迫る。更に進むと道標5があり、那智山まで2.5kmだ。林道に合流するとトイレのある広い広場に出る。このツア-はここまでバスが迎えに来る予定だったが、年配者の参加者が多いにも関わらず、予定より早く着いたため、熊野那智大社まで下ることになる。林道から石畳の急坂を下る。
 平らな開けた場所に着き、山茶花が咲き誇る那智高原公園の一角に入る。高原を横切り、山道を下って行くと標識1があり、更に進むと那智の滝が見えるようになる。大雲取ルート起点の那智山に15時54分に着く。
 大雲取ルート起点の石段を見納めて、那智山境内を散策する。まず、熊野青岸渡寺を参拝する。青岸渡寺の本堂は、天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、御本尊は如意輪観世音菩薩です。更に奥に進み熊野那智大社拝殿を参拝する。熊野那智大社は標高約500mにあり、社殿は6棟からなる。夫須美神を御主神とし、農林・水産・漁業の守護神、また縁結びの神様として崇められている。境内には、樹齢850年と推定される樹高27m、幹回り約8.5mの樟の御神木がある。
 これから、那智の滝が最も近くで見られる飛瀧神社に行く。途中、熊野青岸渡寺の境内から、朱色の三重の塔と那智の滝のコラボレ-ションが見事です。那智の滝バス停から長い石段を飛瀧神社まで下りきると、迫力ある
那智の滝
落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さは
10mの名瀑で、落差は日本一です。
が目前に迫ってくる。本日の予定をすべて終え、今夜の宿である新宮ユーアイホテルに向かう。

2022年12月6日(火) 晴
新宮ユーアイホテル(7:00 15分) ⇒ 小和瀬渡し場跡(8:00-7:50 13分) ⇒ 尾切地蔵(8:03 1時間21分) ⇒ 桜茶屋跡(9:24 9分) ⇒ 桜峠(9:37 15分) ⇒ 石堂茶屋跡(10:09 11分) ⇒ 賽の河原地蔵(10:20 15分) ⇒ 林道合流(10:35-10:46 14分) ⇒ 百間ぐら(11:00-11:03 28分) ⇒ 万才峠の分岐(11:31 10分) ⇒ 松畑茶屋跡(11:41 1時間13分) ⇒ 請川小雲口(12:54)
請川小雲口(13:10 15分) ⇒ 瀞峡めぐりの里熊野川(13:25-13:40 16分) ⇒ 瀞峡下り・熊野川道(13:56-14:20 1時間47分) ⇒ 始神テラス(16:07 5時間00分) ⇒ 安曇野IC(21:07)

 今日は帰りの移動時間があるので、新宮ユーアイホテルを7時に出発する。昨日途中下車した小和瀬渡し場跡が今日の出発地点だ。大雲取越入口の手前1kmのところにある。7時50分に赤木川に架かる橋を渡る。橋が架かるまでは、当然舟で渡るしかない。橋を渡り切った先の民家の手前の狭い石段から入る。暫く進むと木製の道標30がある。中辺路(小口)の入口に立っている道標29に続く。
 最初のランドマ-クは尾切地蔵だ。このコースも植林と両サイドにあるウラジロの中の石段を上って行く。大雲取越コースに比べて格段に勾配がゆるやかだ。僅かに視界が開けた所で熊野川を見ると、この時間まだ雲がかかっている。桜茶屋跡まで1時間34分歩いたが、あまり道に変化がないので印象に残らない。ガイドの植生している植物の説明の方が興味をそそる。この道中マンリョウ、センリョウの赤い実が特に目についた。
 最初の距離表示のある標識によると、ここまで3.8kmを歩く。道標36の所に斎藤茂吉の歌碑がある。その先に手書きの小さな桜峠の案内板がある。そこから右側が崩れかけた山道を下っていく。やがて、両サイドが切れ込んだ広い尾根道となる。
 尾根道の取りつきに
三界萬霊・三界とは、無色界・色界
・欲界の三つをさす。
この三界とすべての
精霊に供養すること。
の古い石像
が建っている。黙々と歩を重ねると石堂茶屋跡に着く。そこからも単調な山歩きが続く。賽の河原地蔵前を通り、緩斜面のアップダウンを経て舗装された林道に出る。ここから小和瀬まで皇太子殿下が歩いたそうだ。
 この地点の標識に小口6.6km、請川6.4kmと記しているので、小雲取越コースの丁度中間点付近にあたる。100m程林道を行ったところに一人分のバイオトイレがある。このコースで唯一のトイレとなる。今回の参加者は女性が多く、トイレ休憩で男性陣は待たされることが多かった。15分程でこのコースの目玉である百間ぐらに着く。百間ぐらの案内板によると、「小雲取越の絶景ポイント。ぐらとは高い崖の意とされる。熊野三千六百峰といわれる幾重にも重なる山並みが美しい。北西には果無山脈の稜線が美しく眺められる。連なるように西南に遠く横たわるのは、紀南地方の最高峰大塔山(1121.8m)を中心とした大塔山系である。西には野竹法師(970.8m)の均整の取れた姿が目立つ。」と記している。このコース唯一の展望台なので、紀南の山並みをしばし眺める。
 下ること30分程で、万才峠に至る伊勢路の分岐点に達する。松畑茶屋跡を過ぎると、ハイキング気分でゆるやかな下り坂をひたすら歩く。1時間程進むと、やがて展望が僅かに開け熊野川が一望出来る。そこから請川小雲口のある国道165号は直ぐ傍だ。請川小雲口の道標54に12時54分の到着で、5時間程のほぼ標準タイムで完歩する。
 ここまで食事なしで歩き通したので、食事場所の瀞峡下り・熊野川道の駅に向かう。途中クーポン券の使えるさいごの店の瀞峡めぐりの里熊野川に寄り、残りのク-ポンを使い切る。瀞峡下り・熊野川道の駅は何もないところで、ベンチ等でめいめい昼食の弁当を頂く。駐車場の一角に平成23年9月4日台風12号による紀伊半島大水害の時の最高水位27.4mを示すバ-がある。信じられない高さで、自然の驚異を感じる。
 すべての日程を終え、後は一路参加者の自宅に帰るのみだ。すべての参加者が帰り着くのは深夜になるだろう。