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旭川いかだ下り

はじめに

 旭川いかだ下りは、岡山県備後落合で落合商工会青年部を中心に1985年8月1日にスタ-トした。それから少しづつ内容を変えながら開催し、毎年多くの出場チームが参加しています。回を重ねる度に、筏の飾りつけが華美になり、それも観戦者の魅力になっていった。しかし、23年の長きに渡り続いていたが、2009年8月2日開催の23回をもって終了しました。
 筏は手作りで1艇に5人ぐらい乗る。結構重量があるので現地までトラックに積み、スタ-ト地点とゴール地点でクレ-ンにより上げ下ろしする。種目は単純にタイム順を競う早下りとあらかじめ設定した時間に近い順を競うゆうゆう下りがある。急流や浅瀬があるので結構転覆する筏がある。我々の筏は、腕に自信がある旭川いかだ下り参加の提案者が製作しました。開催の都度組立、解体しなければならず大変です。30分程の筏下りのために相当の時間と労力を必要とします。メンバ-が町内の子供仲間なので、他チームのように凝った飾り付けは出来ず、毎回このメンバ-の構成名である満月うさぎ団の垂れ幕を掲げている。毎回のように参加するので、旭川いかだ下りでは知られた存在となっている。
 我々は男女、親子の混成チ-ムなので、毎回ゆうゆう下りに1~3艇出走している。私が参加した大会は8回あり、優勝を含めて3回表彰を受ける。この旭川いかだ下りが我々のコミニュティ-の場になっている。
参加大会
 (1)第1回1985年8月1日(日) 8人?
 (2)第8回1994年10月24日(日) 12人
 (3)第10回1996年8月3日(日) 7人
 (4)第12回1998年7月25日(日)  15人
 (5)第15回2001年8月5日(日) 16人
 (6)第17回2003年7月27日(日) 9人
 (7)第18回2004年8月8日(日) 13人
 (8)第19回2005年7月31日(日) 8人

1985年8月1日(日) 晴

 記念の第1回大会で筏作りから始める。参加者は親子中心で興味本位の参加となる。私がまだ30代だったので、今から思えば隔世の感がある。ここにいる子供たちも40歳を超えている。あの頃は皆若かった。当時を思い出す貴重な写真です。


1994年10月24日(日) 晴

 本大会は第8回なので、私にとっては7年ぶりの参加となる。他のメンバ-は参加していると思われるが、記録がないので解らない。この時は満月うさぎ団の垂れ幕をつけて出艇している。浮き輪はドラム缶からウレタンに進化している。筏が軽くなり浮力もアップした。また、揃いのティ-シャツと帽子を誂えた。

1996年8月3日(日) 晴

 第10回大会は節目の大会で、いろいろ趣向を凝らした艇が参加した。金魚、イルカ等の魚を模ったもの、はやりのキャラクタ、中には会社の宣伝を筏に乗せて参加していた。我々の艇は第8回と同じで、垂れ幕だけ新調された。殆ど飲み会状態の参加となった。当時飲酒に対して寛容だった。

1998年7月25日(日) 晴

 満月うさぎ団も参加者が増え、3艇の出場となる。従って、新たに1艇を増設する。参加艇が増えたこともあり、1艇がゆうゆう下りの部で優勝した。他艇は凝った飾り付けをしているが、満月うさぎ団は数で対抗している。

2001年8月5日(日) 晴

 第12回大会は、落合商工会40周年を記念して、ゲストとして当地出身の岸田智史と友人の石田純一を招待していたこともあり、例年より参加者が多い気がした。男性陣はあまり関心を示さなかったが、女性陣は有名人というだけではしゃいでいた。入れ代わり立ち代わり記念写真を撮っていた。

 満月うさぎ団も多くの参加者があった。参加艇が多い中、記念すべき大会に賞を得る。


2003年7月27日(日) 晴

 第17回大会はかなりの波があり、カメラを濡らす恐れのため持参せず。従って、写真を撮ることが出来ず、大会関係者から写真を頂く。大会当日の出来事は、思い出す手立てがなく、記憶が殆ど残っていない。


2004年8月8日(日) 曇

 第18回大会は曇り空の中で行われた。我、満月うさぎ団は旭川いかだ下りでは名が通った存在となっている。今回も優勝し、インタビュ-を受ける。優勝はりっぱなトロフィ-と賞金が付いていた。おかげで慰労会の足しになった。


2005年7月31日(日) 晴

 第19回大会は我々が参加した最後の大会となる。20年近く参加したが、子供達は手元を離れ、我々も年をとったので、なんとなく雲散霧消した。旭川いかだ下り自体が、23回をもって終了した。