大熊城

(概要)
 大熊城は千野氏居城と伝えられ、文献上では文明15年(1483)にその名がみられる。諏訪神社上社大祝側に属する山城で、当時対立していた下社大祝金刺氏との攻防の場となった。天文17年頃破却された。城は三日月形をした自然丘陵上に主郭を築き、周囲に六ケ所の郭(曲輪)を配置したいわゆる連郭式城郭である。主郭の南端には長さ20mの土塁があり、その上には千野氏の名を刻んだ石祠が建っている。
 昭和48年に行われた発掘調査では堀・建物跡・土橋が発見され、築城の様子が明らかになった。また大熊城に隣接する城山遺跡・荒神山遺跡からは城主の居館跡とみられる建物跡も発見された。 (案内板転記)
(アクセス)
 県道16号湖南小学校入口信号から城山福寿草園に向かって進む。400m程行った所の小高い丘が大熊城跡です。中央道により分断され、回りは耕作されて山城跡らしくない。近くの中央道の西側にある有賀城跡、南真志野城跡は影響を受けていない。 Map


大熊城跡
左側が主郭跡。
主郭跡
大熊城跡から諏訪市街
諏訪市街と諏訪湖。

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