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百舌鳥・古市古墳群巡り

はじめに
 現在、長野県を中心に古墳巡りをし、56ヶ所の古墳を訪れている。また隣県群馬県が古墳王国として数多くの大型の古墳があることを知り、そこも18ヶ所の古墳を訪れている。
 百舌鳥・古市古墳群巡りは、群馬県の古墳巡りの際、次に訪れたいと考えていた所です。たまたま西日本に行く用事があったので、堺市に住む友人に案内してもらうことにした。百舌鳥・古市古墳群が2019年7月6日に世界文化遺産に登録されたことも動機の一つです。また、群馬県の大型の前方後円墳がヤマト王権とつながりが強いことを知ったこともきっかけになっています。百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産は大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市にある45件49基の古墳群の総称で、宮内庁管轄の天皇陵が多いのが特徴です。
 天皇陵古墳は私の確認によると、百舌鳥古墳群に3ヵ所、古市古墳群に10ヵ所あった。それぞれの天皇の年代を調べると、14代仲哀天皇から27代安閑天皇までとなっている。詳しく並べると、百舌鳥古墳群は16代仁徳天皇、17代履中天皇、18代反正天皇、古市古墳群は14代仲哀天皇、15代応神天皇、19代允恭天皇、20代安康天皇、21代雄略天皇、22代清寧天皇、24代仁賢天皇、27代安閑天皇となる。古市古墳群には仲姫命、春日山田皇女の古墳もある。百舌鳥古墳群と古市古墳群は10Km程離れているにも関わらず、年代毎にきちんと分かれてなく、古墳の大きさも大きく異なる。また16代仁徳天皇、17代履中天皇の古墳は年代が逆転している。何故この地に天皇陵があるのか、それぞれの天皇の古墳を特定を出来たのか興味があるが、ここでは触れないでおく。
 今回百舌鳥古墳群と古市古墳群を1日で巡るため、電動アシスト自転車を借りる。標高が古市の方が高いので古市駅で借りて大仙公園観光案内所で返却する。古墳は市街地の中にあるので、住宅に囲まれ、古墳間の移動は信号機、車等に阻まれて古墳巡りは結構大変です。天皇陵を含めて外周が堀で囲われているところが多く近づくことが出来ない。また人が踏み入れていないので、鬱蒼とした森林状態になっている。その上、個々の古墳が大きいので全景を確認出来ず、前方後円墳といわれても判別し難い。一部小さい古墳、墳丘に登れる古墳の方が古墳らしさを感じる。堺市役所の21階で舌鳥古墳群を見下ろすが、ガイドの写真のようには見えない。外堀は全く見えず、こんもりした森にしか見えない。百舌鳥・古市古墳群巡りの感想は、古墳を見たというよりサイクリングを楽しんだ感じだ。


2022年5月16日(月) 曇
(古市古墳群)

 古市古墳群は藤井寺市から羽曳野市にかけて東西・南北約4キロmの範囲に広がる古墳群です。墳丘長425mで我が国第2位の前方後円墳の応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)をはじめ、290mの仲姫皇后陵古墳(仲津山古墳)、242mの仲哀天皇陵古墳(岡ミサンザイ古墳)など、4世紀後半から6世紀前半にかけて築かれた44基の古墳が残っています。一辺10mに満たない小型方墳まで120基を越える様々な墳形と規模の古墳からなります。現存する44基のうち、墳丘長200mを超える巨大な前方後円墳は7基も含まれています。(藤井寺市HP転記)

古市駅レンタサイクル貸出所(9:15 14分) ⇒ 白鳥陵古墳(9:29 18分) ⇒ 峯ヶ塚古墳(9:47 14分) ⇒ 小口山古墳(10:01 17分) ⇒ 清寧天皇陵古墳(10:18 26分) ⇒ 墓山古墳(10:44 2分) ⇒ 浄元寺山古墳(10:46 17分) ⇒ 応神天皇陵古墳(11:03 8分) ⇒ 大鳥塚古墳(11:11 7分) ⇒ 小室山古墳(11:18 5分) ⇒ 仲姫命陵古墳(11:23 43分) ⇒ 允恭天皇陵古墳 ⇒ 津堂城山古墳(12:06 22分) ⇒ 仲哀天皇陵古墳(12:28)


白鳥陵古墳Map
前方後円墳
墳丘長:200m、前方部高さ:23.3m
築造時期:5世紀後半
発掘調査の結果、墳丘に造られた平坦面から隙間なく並べられた円筒埴輪が見つかっている。造り出し付近からは、まつりに使われたと考えられる須恵器が発見された。
峯ヶ塚古墳Map
前方後円墳
墳丘長:96m、前方部高さ:10m
築造時期:
築造時は二重の周濠をもつ古墳であった。埋葬施設である後円部の石室には阿蘇産の石材で作った舟形石棺が納められていた。石室の内部からは、銅鏡(どうきょう)、大刀(たち)、鉄鏃(てつぞく)、多量の玉類、馬具のほか豪華な装飾品などの副葬品が出土した。墳丘や濠からは円筒埴輪、形象埴輪のほか、須恵器が出土している。
小口山古墳Map
円墳
墳丘長:30m
築造時期:7世紀後半
峯ヶ塚古墳の西方約200mの羽曳野丘陵の東縁に位置する横口式石槨をもつ終末期の円墳です。明治45年(1912)に開墾に際して発見され、喜田貞吉が河内軽里の掘抜石棺として紹介し、広く周知されるようになりました。また古墳の所在する西側には白鳳時代に栄えた善正寺が位置しており、この寺に関係する人物が埋葬されている可能性が考えられています。
清寧天皇陵古墳Map
前方後円墳
墳丘長:115m
築造時期:6世紀前半
後円部直径63m、前方部幅128mを測り、前方部幅が後円部直径の2倍に達しており、前方後円墳としてはもっとも前方部が発達した形態で、墳形の最終段階を示すものと考えられている。周濠(しゅうごう)は地形に制約されるため、前方部付近には水量調整用の土手が築かれている。また、くびれ部の北側には造出しが存在する。さらに平成15年度の調査で二重目の濠が存在することが判明した。
墓山古墳Map
方墳
墳丘長:225m、前方部高さ:20.7m
築造時期:5世紀前半
墳丘からは円筒埴輪のほか、家形、靫ゆぎ形などの形象埴輪が出土している。形象埴輪のなかでも、盾たてを持つ人をあらわした埴輪は、人物形の埴輪として最も古いもののひとつである。
浄元寺山古墳Map
方墳
墳丘長:67m、前方部高さ:9.7m
築造時期:5世紀前半
墓山古墳の前方部西側、外側の堤に接して造られた方墳。墓山古墳の付属墳と考えられる。
応神天皇陵古墳Map
前方後円墳
墳丘長:425m、前方部高さ:36m
築造時期:5世紀前半
日本第2位の大きさの前方後円墳で、墳丘の体積(143万㎥)は国内第1位である。墳丘の周囲に二重の濠と堤をもつ。墳丘や濠からは円筒埴輪や形象埴輪がみつかっている。応神天皇陵古墳には1万8千本以上の円筒埴輪が並べられていたと推定されている。
大鳥塚古墳Map
前方後円墳
墳丘長:110m、前方部高さ:12.3m
築造時期:5世紀前半
墳丘は、後円部の高さが高いことが特徴である。墳丘の周囲には、幅の狭い濠が巡る。墳丘から円筒埴輪、形象埴輪が出土している。
小室山古墳Map
前方後円墳
墳丘長:150m、前方部高さ:15.3m
築造時期:4世紀後半
墳丘に造られた平坦面には、円筒埴輪が並べられ、形象埴輪も出土している。
仲姫命(なかつひめのみこと)陵古墳Map
前方後円墳
墳丘長:290m、後円部高さ:26.2m
築造時期:4世紀後半
墳丘の周りを幅のせまい濠が巡る。外側の堤は幅が広く、円筒埴輪、形象埴輪がみつかっている。
津堂城山古墳Map
方墳
墳丘長:210m、前方部高さ:16.9m
築造時期:4世紀後半
1912年に後円部から埋葬施設が発見され、竪穴式石室たてあなしきせきしつの中に国内最大級の長持形石棺ながもちがたせっかんが納められていた。石室や石棺内からは、銅鏡、鉄製武具・武器、腕輪形石製品、装身具などが出土している。墳丘は、幅の広い二重の濠と堤に囲まれている。内側の濠の中には島状の高まりが造られており、3体の水鳥形埴輪が置かれていた。
仲哀(ちゅうあい)天皇陵古墳Map
前方後円墳
墳丘長:245m、前方部高さ:19.5m
築造時期:4世紀後半~5世紀後半
室町時代に城として使われたため、墳丘の上面は一部の形が変えられている。周囲には幅の広い濠が巡り、堤の上にも円筒埴輪が並べられていた。墳丘や濠からは、円筒埴輪、形象埴輪が出土している。


(百舌鳥古墳群)


 百舌鳥古墳群は、堺市内の東西・南北約4キロmの範囲に広がる古墳群です。古墳時代、この一帯には100基を越える古墳が造られました。しかし、都市化の進展などによってその多くが失われ、現在は4世紀後半から6世紀前半に造られた44基の古墳が残っています。その中には、世界最大級の墳墓・仁徳天皇陵古墳をはじめとする巨大前方後円墳などが含まれており、日本の古墳文化を物語る貴重な遺産です。(堺市HP転記)

仁徳天皇陵古墳(14:26 26分) ⇒ 七観音古墳(14:52 3分) ⇒ 履中天皇陵古墳(14:55 26分) ⇒ 善右ヱ門山古墳(15:21 4分) ⇒ いたすけ古墳(15:25 10分) ⇒ 御廟山古墳(15:35 8分) ⇒ ニサンザイ古墳(15:43 43分) ⇒ 収塚古墳(16:27 17分) ⇒ 堺市役所(16:44-16:55 18分) ⇒ 反正天皇陵古墳(17:13)


仁徳天皇陵古墳Map
前方後円墳
墳丘長:486m、全長:840m
築造時期:
日本最大の巨大前方後円墳。大阪湾からの眺めを意識した場所に造られている。墳丘の周囲は三重の濠が取り囲んでいる。江戸時代の史料には、後円部には大型の石棺があるという記録がある。明治時代には前方部で竪穴式石室が発見され、石室の中に長持形石棺や金銅装の甲冑をはじめとする副葬品が納められていたことが確認された。
七観音(しちかんのん)古墳Map
円墳
墳丘長:32.5m、高さ:3.8m
築造時期:5世紀前半
履中天皇陵古墳の後円部北東側、外濠の近くに位置する円墳。履中天皇陵古墳の付属墳と考えられる。墳丘からは円筒埴輪がみつかっている。
履中(りちゅう)天皇陵古墳Map
前方後円墳
墳丘長:365m、後円部高さ:27.6m
築造時期:5世紀前半
日本第3位の巨大前方後円墳。大阪湾からの眺めを意識した場所に造られている。築造時は二重の周濠をもつ古墳であった。墳丘からは円筒埴輪、形象埴輪が見つかっている。形象埴輪のうち、矢を収納する靫(ゆぎ)の形をした靫形埴輪は高さ1.4mもある大型のものである。
善右ヱ門山古墳Map
方墳
墳丘長:28m、前方部高さ:20.7m
築造時期:5世紀前半
いたすけ古墳の濠に接して造られた方墳。いたすけ古墳の付属墳と考えられる。小石が敷かれた平坦面には円筒埴輪が並べられていた。
いたすけ古墳Map
前方後円墳
墳丘長:146m、後円部高さ:11.4m
築造時期:5世紀前半
幅が広く、長さの短い前方部の形状が特徴的である。墳丘からは円筒埴輪のほか、形象埴輪がみつかっている。昭和30年頃には宅地開発による破壊の危機にさらされたが、市民を中心とした保存運動によって破壊をまぬがれた。この古墳から出土した冑(かぶと)の埴輪は、堺市の文化財保護のシンボルになっている。
御廟山(ごびょうやま)古墳Map
前方後円墳
墳丘長:203m、後円部高さ:18.3m
築造時期:5世紀前半
築造時は二重の周濠をもつ古墳であった。発掘調査の結果、墳丘に造られた平坦面から隙間なく並べられた円筒埴輪が出土した。造り出しからは、囲形(かこいがた)埴輪、家形埴輪、魚やザル形の土製品など、多様な遺物が出土した。
ニサンザイ古墳Map
前方後円墳
墳丘長:300m、前方部高さ:25.9m
築造時期:5世紀後半
築造時は二重の周濠をもつ古墳であった。発掘調査の結果、後円部東側の濠の中から墳丘と堤をつなぐ大きな木橋の痕跡が発見された。墳丘に造られた平坦面から隙間なく並べられた円筒埴輪がみつかった。造り出しには須恵器の大甕(おおがめ)が見つかっており、濠からは形象埴輪や木製の埴輪も見つかっている。
収塚(おさめづか)古墳Map
帆立貝形墳
墳丘長:57.7m、後円部高さ:4.2m
築造時期:5世紀前半
仁徳天皇陵古墳の付属墳と考えられる。墳丘に造られた平坦面には、小形の円筒埴輪が並べられ、濠からも円筒埴輪や須恵器がみつかっている。
反正(はんぜい)天皇陵古墳Map
前方後円墳
墳丘長:148m、前方部高さ:14.8m
築造時期:5世紀前半
築造時は二重の周濠をもつ古墳であった。外濠からは円筒埴輪、形象埴輪、須恵器などが出土した。