矢ヶ崎城

(概要)
 和田大井氏は、室町時代に佐久地域を本拠地とした大井氏の一族として、長窪大井氏、武石大井氏とともに依田窪南部地域を発展させました。
 戦国時代の天文二十二年(1553)武田晴信(信玄)の東・北信濃侵攻に抵抗する村上義清側についた大井信定は、和田城を攻められ矢ヶ崎城で合戦に及ぶ。しかし、武田軍の猛攻により信定・信正父子は討死したと伝えられています。その後、矢ヶ崎城は武田氏の烽火台として使われたと言われています。
(アクセス&探索コ-ス)
 国道142号の依田川に架かる長久保橋武石側から入り、長和の里歴史館に向かって600m程進む。作業小屋に入れる防獣柵があり、入口に駐車スペ-スがある。防獣柵を開閉して100m程行くと右側に石垣が見え、左側の僅かな踏跡をたよりに尾根伝いに登って行く。勾配は緩急を繰り返し、木を掴まないと登れない箇所がある。 Map


入口の防獣柵
防獣柵手前に駐車スペ-スあり。右側に作業小屋あり。
城跡取りつき
左斜面に不鮮明な踏跡がある。
急峻な尾根
木に掴まらないと登れない箇所あり。
二の曲輪跡
左が二の曲輪跡でL字に主郭を巻いている。右上が主郭跡。
主郭跡
標高939.1mの四等三角点がある。
主郭跡から四の曲輪方向
主郭の西奥方向で二の曲輪先で空堀で隔てられている。

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