鷲尾城

(概要)
 この城は、山頂に築かれた(中世15~16世紀)の山城である。本郭は東西28m、南北21mほどの不整楕円形をしており、外壁は板状の石を小口積みにした高さ4mほどの石垣となっている。南側に入口を設け、また南側から西側にかけて、犬走り状の平坦面を設けている。東側には、高さ3mほどの土塁と、深い二条の堀切を設け、東西28m、南北12mの一郭脇曲輪があり、さらに三条の堀切を設けている。
 こうした高い石垣によって本郭を築く、近世城郭のような山城は他に例がないものである。
 築造の由来について知るところでないが、倉科氏によって築かれたと伝えられている。(案内板転記)
(アクセス&散策コ-ス)
 車で、更埴ICから10分、しなの鉄道線屋代駅から5分の森将軍塚古墳館前を通る。そこから県道392号を1.9km程行くと、道路わきに倉科休憩所の駐車場ある。100m程先を左折すると、直ぐに鷲尾城跡に登る入口がある。そこを入ると直ぐに大日堂があり、大善寺跡、鷲尾城跡・将軍塚の道標を経て20分程で鷲尾城跡に着く。更に5分程上に登ると倉科将軍塚古墳がある。 Map


鷲尾城跡登り口
大日堂園地の万葉歌碑。少し上にある大日堂は海津城初代城主・真田信之候の次女泰子姫が、如来をまつるお堂として寛文13年(1673)6月に建立。
主郭跡の石積
高さ4mほどの石垣。
主郭跡の土塁と石垣
主郭跡虎口付近の石垣
主郭跡
東西28m、南北21m。
主郭跡背後の堀切
高さ3mほどの土塁と、二条の堀切。

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