和田城

(概要)
 信定寺の裏山、上の山或いは古峯山と呼ばれる細尾根に築かれた連郭式の山城です。
 室町・戦国時代に、和田郷一帯を所領とした和田大井氏の居城で、麓の信定寺域は、和田城主大井信定の居館跡と伝えられています。
 和田大井氏は、室町時代に佐久地域を本拠地とした大井氏の一族として、長窪大井氏、武石大井氏とともに依田窪南部地域を発展させました。
 戦国時代の天文二十二年(1553)武田晴信(信玄)の東・北信濃侵攻に抵抗する村上義清が塩田城に籠もると、大井信定は武石大井氏とともに義清に組しましたが、同年八月一日、武田軍の猛攻により信定・信正父子は討死したと伝えられています。以後、和田城は武田氏の兵站基地として機能しました。
 天正十年(1582)に武田氏が滅亡し、真田昌幸が小県郡を統一すると廃城になったと推定されます。
 城域は、3つの区域に大別され、郭群や堀切等が良好に残されています。(和田城釈迦堂橋側入口案内板転記)
(アクセス&探索コ-ス)
 国道142号の役場前信号から国道178号に入り、350m程行くと信定寺がある。その左手に新海神社に続く遊歩道(200m)が和田城跡への入口になる。若しくは、信定寺から更に250m程行った追川の釈迦堂橋手前左の墓地が和田城跡(300m)への入口になる。 Map


信定寺
木造釈迦如座像、木造三宝荒神立像、陣鐘、山水六曲屏風等が町指定文化財。
新海神社鳥居
信定寺から遊歩道で200m程。
新海神社
佐久郡田口の新海三社神社より勧請したものと言われている。
石尊神社
堀切
石尊神社上、主郭東側の堀切。
主郭跡
古峯神社の祠と背後の土塁跡。
二重堀切
背後に二の郭跡。
城山三角点
標高1016.7mの最高点の詰郭跡で、ここまで尾根上に曲輪、堀切が連なる。
和田城跡釈迦堂橋側入口
和田城跡まで300m程。駐車スペ-スあり。

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