(概要)
山の尾根の突端で大月川の深い谷を控へた険要の地を選んで構築した本丸、二の丸、三の丸があり背面は大掘切で険をなしている。
海尻城址の歴史および伝説
前山城主伴野氏の幕下、井出長門守の築いたものと云ふ。村上氏の臣薬師寺右近らが、この城を守っていたが、天文九年正月十六日に武田の将板垣信方の知略をもって、この城を陥れ本城を小山田備中守昌行に守らせた。(一説には勇略あり守備の術にすぐれていた昌行の父、昌辰ともいわれていた)
二の廓(くるわ)は、日向大和守昌時に、三の廓は長坂左衛国清が守った。けれども同年十二月海尻の地士(じざむらい)らの一揆が、村上氏に意を通じ声援を得て、この城を囲み攻めた。村上氏の将額岸寺光氏らが二の丸まで陥れたが本城は昌行固く守り降らず既に十二月晦日、甲州より武田の将軍の到着により村上勢は敗退した。世に言う海尻城の合戦である。(案内板転記)
(アクセス&探索コ-ス)
JR小海線海尻駅近くの国道141号沿いにある医王院境内に海尻城大手口がある。主郭跡まで10分足らずで行け、道は階段状に整備されている。医王院の裏手駐車場か近くの郵便局前に駐車する。
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