妻籠城

(概要)
 妻籠城は、いつ誰によって築かれたか明らかでない。伝承では木曽家村が室町時代に築いたと言われたいるが、戦国時代に木曽氏の南のおさえとして、木曽義昌によって整備されたものと思われる。妻籠城は、天正十二年(1584)の小牧長久手の戦いの折、ここも戦場となり、木曽義昌の家臣山室甚兵衛良勝が、家康配下の管沼、諏訪、保科の率いる伊奈、諏訪の軍勢を退けている。また慶長五年(1600)の関ケ原の戦いの時も、妻籠城に軍勢がはいっている。
 妻籠城は典型的な山城で、木曽川と蘭川の合流する断崖上に位置し、いくつかの平地、空堀、帯曲輪、さらに南木曾岳へのびる妻の神土塁という土塁をも備えており、江戸時代の古絵図によると規模の大きな構えであったことが知れる。
 現在でも、いわゆる主郭と言われている所は整地され公園になっているが、帯曲輪や空堀などはまだ原形をとどめている。(案内板転記)
(アクセス)
 国道19号線から国道256号線を妻籠宿に向かう。530m程進み左折して、狭い道をさらに540m進み、左折すると中山道に入る。南木曽駅に通じる道を400m程上り切ったところに道標があり、妻籠城跡に通じる遊歩道がある。 Map


妻籠城入口
堀切
帯曲輪
二の丸跡
本丸
妻籠宿

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