(概要)
この城跡は烽火台を中心に本郭と二の郭・大堀切からなっている。
烽火台は高さ約7m、周囲約20m、本郭は東西18m、南北約90mの規模である。
伝承によれば天文年間(1532~1555)武田信玄・上杉謙信戦斗の際築いたといわれているが、あるいはそれより早く、文明年間(1469~1486)村上氏の佐久進出の頃に築かれたと見るのが妥当であろう。
天文十年(1543)武田・諏訪・村上三氏の連合軍によって海野氏の攻略を図った海野平の合戦、天文十七年(1548)・天文十九年(1550)二回にわたった武田氏の村上攻め等、本城跡から一望できる佐久・上田・小県の地域は戦国期の歴史に残る戦乱の舞台であった。
本城跡は当時これらの軍事的な情報・連絡の重要な拠点として活用された地であった。
武田氏滅亡後は依田信藩の臣、依田十良左衛門がここを守ったといわれている。(案内板転記)
(アクセス&探索コ-ス)
県道81号から県道167号入り、千曲川に架かる羽毛山橋を渡り3Km程行くと、史跡外山城址入口の石碑がある。そこを左折して、田んぼ道を500m行った所に外山城跡駐車場とトイレがある。
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