戸屋城

(概要)
 この場所は有名な地方豪族、春日氏の城跡である。春日氏は伴野庄春日郷(北佐久郡望月町春日、現佐久市春日)の地頭であった。この七二会の地に移り住んだのは鎌倉時代のことである。初めは岩草村の春日山城を居城としたが、室町時代初期の延徳元年(1489)に、橋詰村の険阻なこの場所に戸屋城を築き居城とした。その所領は東は七二会の論地から西は梅木、念仏寺、長井など中条村の一部まで及び、その一帯を春日郷と総称した。有名な川中島の戦いの折には、武田信玄が小川の大日方氏にあてて春日氏を味方に誘ってほしいという文書(大日方家文書)を送っており、武田方として奮戦した。武田氏滅亡後、上杉景勝に属し慶長三年(1598)には上杉景勝と共に会津、米沢と移っていった。その地でも代官として重く登用された有能な武将であった。(戸屋城跡案内板転記)
(アクセス&探索コ-ス)
 国道19号の瀬脇信号から入り、坂道を3Km程行くと七二会支所にぶつかるので、そこを右折し中学校前を通過する。更につきあたったところを左折して陣馬平方向に進む。そこから300m程行った県道86号分岐の100m先を右折する。狭い道を800m程行くと、七二会丁橋詰の道標のところに戸屋城本丸跡の看板がある。そこから300m程で戸屋城本丸跡の入口がある。 Map


七二会丁橋詰の道標
戸屋城本丸跡入口
路肩に駐車可。右奥は小曲輪。
戸屋城本郭跡
二の曲輪
三の曲輪
戸屋城跡から七二会市場。
こちら側は善光寺地震で崩壊している。

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