寺尾城

(概要)
 天文19年(1550年)に寺尾城主寺尾氏は、砥石城の戦いにおける武田信玄の敗退を機に村上方から武田方に寝返った。そのため村上氏の攻撃を受け、寺尾城は落城し寺尾氏は越後へ逃げる。川中島合戦では、金井山城とともに尼厳城の出城に利用され、武田方の海津城が築城されてからも、出城の役割を担ったと考えられる。
(アクセス)
 県道403号の東寺尾信号から斜めに入り、400m程行くと愛宕社に続く階段が見える。そこに寺尾城址登山口の道標がある。 Map


寺尾城跡入口
傍らに地蔵堂があり、階段は愛宕社に続く。
石積
愛宕社から明確な道はないが、しばらく石積を縫うように進む。
愛宕社
ここまで74段、67段、21段の石の階段が続いている。
主郭
東西20m×南北25mで20mほどの土塁に囲まれている。
寺尾氏の墓碑
寺尾殿之墓と刻んでいる。
尼厳山
主郭東側に見え、北側は2条の堀切があるが樹木で覆われている。
二の郭
東西25m×南北30m。
三の郭
東西25m×南北20m。
堀切

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