(概要)
田沢城は後背の尾根を三つの掘割でもってこれを断ち切り、小丘上に東西20m、南北26mの本城を築き、後背に高さ1.5m、前面に赤さ0.5mの土塁を施している。大手の南面には三つの掘割と帯郭、本城下に四つの帯郭、西方前面には五本の縦割り、東方の緩斜面に六つの帯郭を施している。
田沢城は室町時代中期頃に築城されていたと思われる。城主は田沢氏と田沢村の書上に記されている。一方信府統記によれば、真田四郎(海野氏一族)改め田沢四郎と云う者が所領し、その後経緯は知れないが花村若狭という者が所領したと記されている。 (明科町誌)
(アクセス&探索コ-ス)
国道19号田沢北信号から県道57号に入る。篠ノ井線高架下を潜り、最初の信号機の先の路肩に駐車する。
その一角の上り口に入ると、直ぐに長い階段がある。階段を上りきると、滑り易い砂利状の道になるが、暫く進むと堀切のような道となる。比高160mなので20分もあれば、田沢城跡で一番広い4の郭跡に着く。そこは倒木のたまり場のようになっている。その左側にアンテナが設置されている三の郭跡があり、よく手入れされていて北アルプス方向が開けている。そこから主郭跡まで笹原状態で、僅かな踏み跡がある。主郭跡の土塁を超えて、堀切を経て五の郭に至る。その下方に出城が木の隙間越しに確認出来る。光城山の登山道は田沢城跡の下を巻いてあるので、うっかりすると通り過ごしてしまう。私は見過ごして光城山まで行ってしまい、2回登るはめになる。
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