鈴岡城

(概要)
 鈴岡城は、鈴岡小笠原家の居城です。段丘の突端に主郭を置き、背後は「念通寺断層」により形成された段丘涯で守られています。台地続きの西側は、幾つもの堀と郭で防御を固めています。特に、最大幅30mにもなる 内堀と、二郭を取り囲む外堀は見事です。毛賀沢川の対岸には松尾城が築かれています。
 鈴岡城の始まりは不明な点が多いのですが、南北朝時代に小笠原宗政が築いたとされています。十五世紀後半に政秀が在職してからは、伊賀良庄と信濃守護職を巡り松尾小笠原家と争いました。明応二年(1493)と天文二十三年(1554)に、松尾小笠原家に攻められ落城しました。その後、天正十八年(1590)に松尾城が廃城となるまでは、その支城となったともいわれます。(案内板転記)
(アクセス)
 国道151号鈴岡公園入口信号から県道444号に入る。鈴岡公園下停留場前を通り1km程行くと鈴岡公園の駐車場に着く。松尾城跡から来るには、毛賀沢川水路橋を渡って、長い階段を登ると鈴岡城跡本丸に至る。 Map


主郭跡
主郭の北・西・南側にはそれぞれ堀がめぐらされ、東側は急峻な自然地形を利用しています。主郭の規模は、北側で約80m、西側で約45mあります。西側の堀に面して、郭の端部には土塁の一部が残っています。(案内板転記)
二の丸跡
二の丸跡から飯田市街
堀切
本丸(主郭)と出丸を隔てています。二の丸(二郭)を隔てる内堀と合流縦堀となり、毛賀沢川に落ち込んでいます。堀の両脇には段郭・土塁がみられます。現在の幅は19m、深さ6mですが、埋まっており昔はもっと深かったとみられます。(案内板転記)
本丸跡
ここから天竜川を挟んだ対岸に、知久氏の居城知久平城・神之峯城、伊那山脈小川路峠を見ることができる。
出丸跡
主郭の北側に位置する郭です。周りの急峻な自然地形を利用しており、尾根の先端を堀切により切り離した郭です。南北が約50m、東西が約35mの三角形をしています。(案内板転記)

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