(概要)
大和城は諏訪市大和区と下諏訪町高木区の境界にあって、大見山から西方(諏訪湖側)に張り出した尾根の先端・海抜942m(湖水面759.3m)にあって、東側を雨明沢に囲まれ、北川も沢に囲まれた堅固な城でありました。
築城はあきらかでないが、1469年から1555年の86年間、戦国時代(1467年~1591年)初期、諏訪大社下社の大ほうりの金刺氏の一族である大和監物氏の居城であったと伝えられています。大和城が、いつ・なぜ廃城となったかはあきらかでありません。
城は一階建てで、大きさは東西35m、南北28mと小さく簡単な城で敵の侵入を狼煙で知らせる城ではなかったか、と言われています。
東側の尾根から敵の侵入を防ぐため、城の東北側と南側に土畳で砦を築いてあったようです。また大見山からの尾根には等高線と並行にV字型の堀を掘ってあります。この構造は大和城の特色であります。
城から大見山に通ずる尾根600m奥の岩山にも二筋のV字型の堀を設けて、尾根を遮断してあります。この堀は「諏訪藩主手元絵図」にある大城がこれにあたり、これはつまり大和城の避難場所と推定されます。(案内板転記)
(アクセス&探索コ-ス)
国道20号から諏訪市大和1丁目の寿量院に入り、その前を通過して寿量院墓所側に左折して突き当たる。およそ750m程だが、入組んでいるので注意のこと。そこに御社宮司跡で大和城の案内板がある。少し手前の道路に駐車する。
すぐ上に見える東屋をとおり小橋を渡ったところを左に進む。直進すると砂防堰堤の右に階段が続き、大和城への道と勘違いする。私は間違ってその道を辿り、大和山(1,120m)の三角点まで行ってしまう。表示がなければ、大見山まで行ってしまうところだった。途中の尾根上に郭らしき広場があったので、ついつい深追いをする。復路は高尾神社に下り、御社宮司跡に戻る。
気を取り直して、向かって左側の山に向かう。東屋の先を左に入ったが、急坂のはっきりしない道で、途中で送電線方向に迷う。段丘状になっているのでそのまま進み、苦労はしたが30分程で目的の大和城主郭跡に着く。大和城跡には桜植樹記念碑があり、土塁がはっきり認められた。往路は道らしき踏み跡があったので、それを辿って行くと小さな祠二つと鳥居の所に出た。そこからも急坂の滑り易い踏み跡で苦戦して帰りつく。
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