大塩城

(概要)
 信府統記によれば、木曽義仲の第二子(か第三子)の義重によって安貞元年(1227年)森城主阿部貞高を撃つために築いたと言われる。
 また、千見城の支城、又は出城として、大日向直長の手によって築かれたか、あるいは、武田氏による山県昌景の手による築城との推測説もある。
  規模:本丸跡(東西27m・南北12m)、二の丸跡(東西15m・南北12m)、一のくるわ跡(巾5m~7m・長さ111m)、二のくるわ跡(巾4m・長さ44m)。(案内板転記)
(アクセス&探索コ-ス)
 県道31号から県道394号(川口大町線)に入って4.3Km程行き、ひと粒舎方向に右折して県道497号(美麻八坂線)に入る少し手前に入口がある。入口から右上に墓場が見える。または、県道497号(美麻八坂線)から中村部落に入って直ぐのところに、城山古道の道標のところを入る。 Map


大塩城跡入口
少し上がると墓場がある。その先に道はないが直登すれば直ぐに本丸跡に着く。
大塩城跡中村部落入口
城山古道と銘があり、道なりに進めば本丸跡に着く。
城山古道道標
中村部落入口と本丸の中間地点付近にある。
本丸跡
案内板があり、東西27m・南北12mと記している。
本丸跡の小さな祠
一のくるわ跡
案内板に巾5m~7m・長さ111mと記している。

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