(概要)
案内板によると以下のとおり箇条書きされている。一、丸山氏の本城、標高約980m、仁科氏第一の要害城。一、本郭の広さ15×13m、北川の下に郭が三か所ある。一、水の手が東側の下にある。井戸跡もあった。。一、物見台が南方の京が倉と北方下の物見岩にある。一、居館跡は西方尾根下の源三屋敷にある。一、水野藩の信府続記には「城主丸山肥後・兵庫・丹波などが相続し、武田氏と戦って没落した」とあるが、史実はない。一、天正十年(1582)秋、小笠原氏に攻められて上杉方へ逃げた。 (主郭案内板転記)
(アクセス&探索コ-ス)
国道19号の生坂トンネル南信号から県道275号に入る。1.5km程行くと生坂小学校の道標があり、そこから舗装された村道に入る。京ヶ倉の道標に従い車を走らせると、林道万平線入口の防獣扉に着く。手前の万平には丸山氏の居館跡、道路に沿った松並木、 旗塚、石仏群七基の史跡が残っている。防獣扉を開閉して、林道を500m程行くと「林産集落振興事業作業用建物」があり、程なく京ヶ倉登山口に着く。 ここに駐車スペ-スと京ヶ倉・大城登山道図がある。
今回は大城跡を見学することが目的なので、国道19号沿いの下生坂側から登るのが近道だが、ここから京ヶ倉・大城を縦走し、下生坂側に下りる。京ヶ倉を56分で通過し、大城跡まで1時間12分で着く。前回、京ヶ倉登山はここで引返すが、今回城跡巡りが目的なので、縄張り見学のため、ここから縦走する。二の曲輪、三の曲輪を見学して、急坂を下るとフラットな尾根となる。途中、北アルプスの展望所を通り、標高920mの物見岩に着く。更に尾根伝いに進むと筑北側が開けた場所がある。そこから程なくはぎの尾峠に着く。このあたりは三の曲輪らしい。ここに、遠回りになるが、展望が良いので眠り峠ル-トをお薦めしますの案内がある。展望は十分楽しんだので、ここから直接下山することにする。下山路は広いが、枯葉が蓄積し滑り易いし、所々倒木があり道が塞がれる。30分程で下生坂側登り口に着く。そこから、国道19号、県道275号を歩いて車まで戻るのは、距離があり気分的に疲れた。
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