長窪城

(概要)
 長窪城は、佐久郡芦田郷(現北佐久郡立科町芦田)一帯を所領としていた芦田氏が、室町時代中頃の正長元年(1428)頃に出城として築城したといわれています。
 その後、佐久地域を本拠地とした大井氏が長窪城主となると、根小屋集落(城下町)である「北小屋」(現北古屋)が設けられ、しだいに対岸の町並みも整備されていきました。
 戦国時代の天文十二年(1543)、前年に諏訪地域を手中に収めた武田晴信(信玄)は、交通の要衝に位置する長窪城を攻めて城主大井貞隆を捕らえ、以後、長窪城は武田氏の東・北信濃侵攻の前線基地として利用されました。
 天正十年(1582)、武田氏が滅亡し、真田昌幸が小県郡を統一すると廃城となりました。
 現在でも、山頂部の主郭、二の郭や、馬屋、堀切等の遺構が良好に残されています。(案内板転記)
(アクセス)
 国道152号を南下して国道254号に入り、しばらく行くと長窪城址の案内板がある。林道を登って行くと長窪城搦手口がある。または、案内板の少し手前の道を右折して500m程行くと案内板がある。その先の依田川の支流にぶつかった所に長窪城跡大手口がある。 Map


長窪城跡大手口
馬屋跡
南の郭跡
城跡の虎口で、ここから尾根上となる。
本郭跡
二の丸跡
北の郭跡から本郭跡方向

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