子檀嶺(こまゆみ)城

(概要)
 冠者友武が拠った城で、別名冠者城とも云われている。天正十三年(1585)の真田昌幸と徳川方の戦い際、塩田城衆が杉原四郎兵衛を大将とし、徳川方につき真田氏に叛旗を翻してこの城に籠城した。結果は、真田方の麓から鉄砲の音、鬨の声で戦うことなく敗走した。その後、真田の家老がこの城を守ったと伝わっている。
 子檀嶺城の遺構は、高地で面積も小さいことから、西城の詰城的な存在だったと思われる。子檀嶺岳山頂の主郭跡には、子檀嶺神社奥社が祀られ、北側に3m幅の腰曲輪がある。各尾根筋には、小郭・堀切跡が認められる。
(アクセス)
 代表的な登山ル-トは、当郷管社コース、村松西洞コ-ス、田沢嶺浦コースがある。今回は村松西洞コ-スを案内する。国道143号を青木村役場方向に進み、傍に北西に向かう道路がある。防獣柵につきあたり、そこに5台程の駐車スペ-スがある。防獣柵を開閉して林道に入り、600m程進むと村松西洞コ-ス登山口がある。 Map


* クリック ⇒ 子檀嶺岳 *
村松西洞コ-ス登山口
主郭跡
標高1,223mで15m×7m。
子檀嶺神社奥社
腰曲輪跡
主郭跡北側に3m幅程の平地。
搦手側
村松西洞コ-ス方向で、少し下がったところに小堀切がある。
西尾根堀切方向
村松西洞コ-ス分岐を修那羅峠方向に少し下がったところ。

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