駒場(こまんばじょう)城

(概要)
 本城は中世に構築されたと言われる。戦国時代の遺構を残す「山城」である。城域は狭いが小高い独立峰で、西側を除く三方向を遠方まで望見できる。また、交通の要所「駒場」を眼下に見る。戦略的な重要な位置を占めている。
 城のある駒場は東山道と中馬(三州街道)、下条街道が合流する地で、信濃国の国境に近い位置にあり、戦国時代、織田・徳川軍との戦いに向かいながら病に倒れた武田信玄や、逆にその武田軍を追討する織田軍の通過点となったところである。
 本城の主郭は、東西およそ350mの尾根の西側の小高い平地とみられ、虎口と土塁と見られる遺構が残っており、その西側に尾根を断ち切る堀切の遺構が五条連なっている。また、主郭の東には同じく堀切の遺構が四条残存している。
 この山は江戸時代から「城山」と呼ばれ、延宝四年(1676年)の絵地図には、「城山、御公儀林、松立 」と書かれていて幕府の天領「御林」として存在していた。(案内板転記)
(アクセス)
 国道153号駒場東信号から伍和方向に入り、阿智川を渡った1km程行った所に阿智公園入口の道標がある。そこから阿智公園の道標に従い進み、最後未舗装の道路を少し行くと駐車場がある。そこが駒場城跡入口となる。 Map


こまんば城址看板
国道153号から見える看板。
阿智公園入口道標
駒場城跡入口
ここまで車で入れる。案内板があり、駒場集落が見下ろせる。
主郭跡
長さ約40mの楕円形の曲輪です。
駒場市街地方向
主郭跡から駒場集落が見下ろせる。
階段状の平場

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