葛尾城、姫城

(概要)
 村上氏は、平安時代の末ごろから千曲川左岸の村上郷を本拠地にしていた清和源氏の一族です。南北朝時代に右岸の坂木(坂城)へ拠点を移し、戦国時代には東北信一帯の勢力をまとめ上げていました。
 義清は甲斐から信濃へ侵攻してきた武田氏を2度(上田原の戦い、砥石城の戦い)も打ち破り、東北信を守っていましたが、天文22年(1553年)の武田軍の勢いには抗えず、葛尾城を自落させ、上杉氏を頼って越後へ逃れました。このことが、世に言う川中島の合戦を招いたのです。義清は坂城へ復帰することなく、越後で生涯を終えたと考えられています。
 葛尾城はその後も武田氏や上杉氏などの勢力が入れ替わる中、戦に使われ少しずつ改変されたと思われます。今でも深い堀切が残り、山城の特性を物語る一方、用途がわかっていない遺構もあります。(坂城町HP転記)
(葛尾城)
 この城跡は、村上氏が坂城郷に居館を構えたと推定される南北朝時代の末頃から天文22年4月村上義清が没落するまで、村上氏歴代の本城であった。
けわしい地形を利用して、最高所に本郭をおき、つづいて二之郭、三之郭を設け各郭を深い堀切で区切っている。
 三之郭の下方には、数多くの小段郭があって要害堅固にしている。(葛尾城跡案内板転記)
(姫城)
 矢場佐間山(標高646m)に主郭を置く姫城は、葛尾城の出城である。前後を堀切で区切られた主郭は6m×20mの長方形で、その北に長円形と半円の郭2個が連らなる。次に不整形と長方形の郭数箇があって、大きな郭は馬場と呼ばれている。葛尾城と構築様式が異なり、築城時期はやや下がると見られる。なお、姫城の名は後世名づけられたものである。(姫城跡案内板転記)
(アクセス&探索コ-ス)
 登り口は、千曲市側と坂城町側にある。今回は坂城町側を案内する。
 国道18号を坂城町役場を目指す。坂城信号から入り、坂城神社に向かう。坂城神社右手を200m程行ったところに葛尾城跡登山者の駐車場がある。駐車場から1分程戻ったところの坂城神社裏に葛尾城跡登山口のりっぱな道標がある。そこから5分程上ると、葛尾城跡遊歩道1.5Kmと近道1.2Kmの道標がある。往きは通常ル-トを通り、姫城を経由して葛尾城跡に登る。時間があれば北アルプスの眺めが良い五里ヶ峰まで足を延ばす。帰りは近道ル-トで下ると良い。 Map


葛尾城跡登山口
姫城跡
標高646m、比高260mで6m×20mの長方形の城跡。
二の郭跡
葛尾城跡
桜が植樹され、南に坂城市街、北に北アルプスの展望が良い。
堀切
深く切れ込み、急傾斜の木段が設置されている。
石垣

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