金山城

(概要)
 今に残る金山城跡は、岩松(新田)家純が文明元年(1469)に築城したものが基礎となっています。その後、下克上によって実質上の城主となった横瀬氏改め由良氏の時代に全盛となりました。上杉氏、武田氏、小田原北条氏、佐竹氏など戦国時代の雄に取り囲まれた中、その攻略によく耐え抜いてきましたが、天正12年(1584)小田原北条氏に捕らわれの身となった城主由良国繁と、その弟長尾顕長(館林城主)の帰還を条件に開城し、小田原北条氏の家臣が城番として配置されました。
 天正18年(1590)、小田原北条氏の滅亡と共に廃城となりました。(案内板転記)
 遊歩道が良く整備され、細目に史跡の案内板がある。
(アクセス)
 東武伊勢崎線の太田駅から県道321号を4.7km行ったところに金山城址展望駐車場がある。そこから遊歩道を以下の順路で巡る。
金山城址展望駐車場 ⇒ ①西矢倉台西堀切 ⇒ ④馬場下通路 ⇒ ⑥物見台 ⇒ ⑦馬場曲輪 ⇒ ⑧月ノ池 ⇒ ⑨大手虎口 ⇒ ⑪日ノ池 ⇒ ⑩南曲輪 ⇒ 大ケヤキ ⇒ 新田神社(本丸址) Map


西矢倉台西堀切
西城から実城(本丸)までの間にある4つの堀切のうち、一番西寄りにある堀切です。<この堀切は他と異なり、堀底に石を敷いて通路として利用している。(案内板転記)
馬場下通路
石敷きの曲がった通路で、物見台下通路から死角になっている。通路は、堅堀にかかる木橋と堀底へ下りる階段に分岐している。
物見台
物見台基壇は、自然の地形に沿って等脚台形に造られており、基壇中央から物見矢倉と考えられる柱穴が4本発見されています。(案内板抜粋)
大堀切と月の池
柵で囲われているのが馬場曲輪です。大堀切は、長さ約46m、堀幅約15m、深さ約15mあり、大手虎口を守っている。
大手虎口
大手虎口は台地形を利用して築かれ、月ノ池脇から正面土塁までの大規模な構えになっていました。月ノ池脇の門から続く緩やかに曲げた大手通路、両側に配した壇上の曲輪、正面土塁、壇上土塁から構成されている。(案内板抜粋)
大手虎口南上段曲輪
曲輪からは、石敷きされた建物の基礎やカマド、井戸址が見つかりました。井戸址には、一辺約1.5m、深さ約3mで石組され、下部にマツ材で出来た井戸枠がそのまま残っています。
日の池
日の池は、15m×16.5mのほゞ円形の池です。生活用水を確保した場所だけでなく、戦勝や雨乞などの祈願を行った儀式の場所であったと考えられています。
金山の大ケヤキ
樹高17m、目通り周6.79mの大ケヤキです。推定樹齢800年程とも伝えられる大木で、神社の参道脇にあることから御神木と同様の扱いを受けていたと思われます。
新田神社(本丸址)
実城(本丸址)にあたるところで、新田義貞を祀る新田神社が建立されています。

前画面に戻る