(概要)
寺尾氏の家老だった金井氏によって築かれたと云われる。金井氏は村上方に従っていたが、天文19年(1550年)に寺尾城主寺尾氏とともに武田方に寝返った。そのため村上氏の攻撃を受け、寺尾城は落城し寺尾氏は越後へ逃げる。金井山城がどうなったかは資料がない。川中島合戦では、寺尾城とともに尼厳城の出城に利用され、武田方の海津城が築城されてからも、出城の役割を担ったと考えられる。
(アクセス)
国道403号線の信号紫から長野IC方面一つ目の狭い道を東南に進むと金井池があります。その先に金井山遊歩道の入口があり、平和観音像までの案内板がある。そこで行き止まりとなっているが、金井山城跡までしっかりした道が続いている。
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