金井山城

(概要)
 寺尾氏の家老だった金井氏によって築かれたと云われる。金井氏は村上方に従っていたが、天文19年(1550年)に寺尾城主寺尾氏とともに武田方に寝返った。そのため村上氏の攻撃を受け、寺尾城は落城し寺尾氏は越後へ逃げる。金井山城がどうなったかは資料がない。川中島合戦では、寺尾城とともに尼厳城の出城に利用され、武田方の海津城が築城されてからも、出城の役割を担ったと考えられる。
(アクセス)
 国道403号線の信号紫から長野IC方面一つ目の狭い道を東南に進むと金井池があります。その先に金井山遊歩道の入口があり、平和観音像までの案内板がある。そこで行き止まりとなっているが、金井山城跡までしっかりした道が続いている。 Map


金井山城跡入口案内板
どうも遊歩道は平和観音像までらしく、その先の大室古墳群金井山支群と金井山城跡の表記が全くない。
不動心
不動心の背部に石仏が鎮座している。
金井山平和観音像
この先で行き止まりの表示がある。せめて遊歩道はここまでの表示にして欲しい。
大岩前の堀切1
ここまで完全な形の古墳を二基確認する。大岩は一見進めそうにないが、右側から巻き道がある。
大岩前の堀切2
この大岩も右側から巻き道があり、上ると左側に二の郭がある。
二の郭
左が二の郭で天水溜めのような窪みがある。右が主郭で石垣が見える。
主郭石垣
石垣がはっきり残っている。左奥が古墳跡です。
主郭
20m×30m程の大きさで、片隅に古墳が認められる。
主郭の南側尾根
鳥打峠に下れる。

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