日岐城

(概要)
 案内板によると以下のとおり箇条書きされている。一、丸山日岐氏は仁科氏の一族で明応元年(1492)頃生坂谷へ進出し、裏日岐へ居館を構え盛慶・盛高・盛次・盛武などが約100年住む。一、日岐城はその時築城され、天将10年(1582)小笠原氏に降参、同18年小笠原氏に従って関東に移るまで居城した。(1492)標高620m、本郭の広さ20mに28m、東側に石垣、平地に供養塔と城の守護神八幡神社跡がある。一、北側に大掘割・二郭・三郭と見張りの地に浅間社跡がある。一、南側に小堀割二条と大掘割一条があり敵をふせいでいる。一、とはり橋は西方の関所で白駒城は出城である。 (主郭案内板転記)
(アクセス&探索コ-ス)
 国道19号下生野信号で折れ日野橋で犀川を渡る。犀川沿いに生坂発電所に向かって走る。民家を抜けた先に日岐城跡遊歩道入口の標識があり、さらに進むと水鳥観察小屋のところに駐車場があるので、そこに車を止める。ここまで日野橋から2.8km程です。観察小屋の前を通り、墓所の方に行かずそのまま直進すると遊歩道がある。広場状のところを過ぎると、再び道路に出る。駐車場前を通っていた道路で、防獣扉を開け更に進むと、日岐城登り口がある。
 そこに、日岐城まで0.5Km、夢エリアまで1.3Kmの案内がある。遊歩道は階段が整備されているので歩き易い。また、案内板が各所にあるので素人には解り易い。突き当った先に、浅間大明神と日岐城まで0.2Kmの案内がある。浅間大明神の方に行くと、見張台跡の案内板があったが、神社の痕跡は認められなかった。日岐城跡に向かって引返す。三の曲輪跡、二の曲輪跡を経由して主郭跡に程なく着く。しっかりした土塁が残され、そこから犀川の生坂水鳥公園が見渡せる。そのまま稜線に沿って夢エリアに向かう。稜線上には幾つかの空堀跡がある。一旦下って上り返すと、ビュ-ポイントがあり北アルプスが一望出来る。更に進むと道路に出たので、同じ道を引返さず、犀川側に道路を下る。車で通ってきた道を歩いたので、かなりの時間を要して車のところに帰り着く。この間1時間50分の散策時間だった。 Map


日岐城登り口
日岐城まで0.5Km、夢エリアまで1.3Kmの道標がある。
分岐道標
日岐城まで0.2Km、夢エリアまで1.0Km、浅間大明神の表示あり。たて13m、よこ8mの見張台跡に浅間大明神は祀られていた。
三の曲輪
かじ平と云う刀鍛冶がいたという。たて35m、よこ15m。(案内板転記)。
二の曲輪
たて15m、よこ10m、土塁が残る。(案内板転記)。
主郭
たて20m、よこ28mで、中央に供養塔がある。
二の空堀跡
曲輪方向にははっきりした空堀跡はないが、背後の尾根には明確な空堀跡があり、歩き易いよう橋を架けている。

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