(概要)
東条城は弘長元年(1261)に築城され東条右近之進の子孫が代々居城していたが天正年間に小笠原氏と戦い敗れている。
大葭原鄉開基には青柳家臣東左衛門という者居城し当村を領せり城の長き十六間四間西向の城なり是より東へ二十一間の所に堀切あり北へ十八間の所に堀切あり要害なりご菩提所を花顔寺という」とある。
東条氏を一之瀬氏と改め落城時の城主は一之瀬治部太夫とも伝えられる。(本城村教育委員会)
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(概要)
東条城は弘長元年(1261)に築城され東条右近之進の子孫が代々居城していたが天正年間に小笠原氏と戦い敗れている。
大葭原鄉開基には青柳家臣東左衛門という者居城し当村を領せり城の長き十六間四間西向の城なり是より東へ二十一間の所に堀切あり北へ十八間の所に堀切あり要害なりご菩提所を花顔寺という」とある。
東条氏を一之瀬氏と改め落城時の城主は一之瀬治部太夫とも伝えられる。(本城村教育委員会)
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