(概要)
林城は里山辺地区林集落の東、大嵩崎(おおつき)集落をはさんで、南北に林大城と林小城が相対した信濃国守護小笠原氏の本城です。林大城と林小城をあわせて林城(はやしじょう)ともいいます。
林城の築城年代については、小笠原長朝が嘉吉3年(1443)に林城で生まれていることが「小笠原系図」に書かれており、長朝の父である小笠原清宗の時代に築城され、井川館から移ったものと考えられます。明応元年(1492)に林城で生まれた小笠原長棟(長朝の孫)は、菩提寺である廣澤寺(こうたくじ)の中興開基になっており、この時代に林城は小笠原氏の本城として、信濃国守護にふさわしい風格を備えた山城となったのです。
しかし天文19年(1550)7月15日、城主小笠原長時(長棟の子)は甲斐の武田晴信(信玄)に攻められて自落(戦わずして降参)し、山城や館は破壊されました。大城の遺構は、金華橋のたもとから登ると、両側に階段状の小さな三日月郭(くるわ)が無数に現われ、尾根は大きな空堀(からぼり)で断ち割られ道を遮断しています。主郭は標高846mの山頂にあり、規模は大きく、さすが守護の本城であるとうなずけます。主郭の周囲には北から東にかけて土塁がめぐり、特に東側中央には野面積(のづらづみ)の石積が残っています。
小城は古城とも書くので、大城より築城は古いと考えられていましたが、最近の縄張の研究などから、大城より新しい時代に造られたと考えられるようになりました。主郭をとりまく石垣や縄張などは、山家城や桐原城と共通性が高いものです。(松本市HP転記)
(林大城探索コ-ス)
林大城跡一帯は遊歩道が整備され、色んなところから林大城跡に行くことが出来る。今回林大城の縄張りを巡るため、橋倉部落から入って、薄川金華橋に抜ける。橋倉部落の公民館横の道路を、5分程行ったところから山道に入る。林大城主郭跡までほんの間近です。そこに縄張り図があるので、それに従い近回りを散策する。帰路は尾根伝いで薄川金華橋口に向かう。平日にしては大勢の人とすれ違う。慈眼寺の観音堂跡の堂平の先の九十九折から見る松本市街と北アルプスの眺めは必見です。薄川金華橋口から車を置いている橋倉部落まで、道路を歩いて20分程で帰る。
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(林小城探索コ-ス)
日を改めて林城を巡る。今回は、林小城跡に行くのが主たる目的だが、直接行くのでは物足りないので、林大城跡から歴史の道を通り、林小城跡に行くコ-スを巡る。薄川金華橋口から林大城跡まで20分、尾根伝いに林道出口まで40分、林道入口から広沢寺山頂まで10分、林小城跡まで15分でトレイルランする。林大城跡から林小城跡まで1時間5分で着く。山城巡りかトレイルランか、目的が曖昧になる。林小城跡の縄張りは原形をよく留めている。主郭跡の土塁は高く、石垣もしっかりしている。そこからも小走りで下りたので、大嵩崎(おおつき)口入口まで10分で下りる。下りきる手前に、地獄の釜と防獣柵がある。2時間で駈足の林城巡りだった。
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(林大城跡)
(林小城跡)