青柳城

(概要)
 坂北駅より東、旧善光寺街道、青柳宿を経て標高900メートル、尾根の末端が山城で南、北、西の三斜面は急峻であり、東に大小八つの郭と7条の空堀があります。西端を本丸とし要害嶮岨で、麻績村、筑北村坂北地域の山城が一望できる位置にあります。(筑北村HP転記)
 天文21年(1552)に武田信玄は小岩嶽城を攻略する。武田氏は、翌天文22年(1553)松本平から川中島平への前衛拠点とするため、青柳城の城主を小笠原氏側から武田氏側に従わせた。その後、信濃に出兵した上杉氏に侵攻される。青柳城は、天正10年(1582)武田氏滅亡後上杉の勢力下になったが、天正11年~12年(1584~1585)には徳川の支援を受けた小笠原氏と上杉氏が攻防戦を繰り広げた。その後小笠原氏に従った青柳城主は、その小笠原氏に抹殺され、天正15年(1587)に落城しました。その後暫くして廃城となる。
 現在は青柳城址公園として櫓門や遊歩道が整備されている。各所に石垣や空堀の跡が残り、往時の面影を偲びながら散策できる。青柳城本丸跡の展望台からの眺めは、眼下に坂北地域が一望でき、北に聖高原、天気のいい日は北アルプスの山並みが一望できる。麓には青柳氏の菩提寺である清長寺がある。青柳宿は善光寺街道の宿場の面影が残り、切通しなどの名所もある。(筑北村HP転記)
(アクセス&探索コ-ス)
 国道403号線の道の駅さかきた付近から、龍沢山碩水寺方向に進む。その前を通過して東山方面へ上っていくと、青柳城址公園の案内看板があり、暫く進むと防獣柵があるので開閉して青柳城址公園駐車場に駐車する。模擬櫓門から主郭までは、尾根伝いに390mで10分程で着く。途中5の郭から2の郭、二重堀切、堅堀、土橋等を経由する。
 健脚ならば、青柳宿駐車場に駐車して、大切通し、清長寺を見学して1km程の古道を登ると冠木門に着く。そこから主郭に行き、尾根伝いに2の郭から5の郭を経て模擬櫓門に至る。そこから青柳宿までは舗装道路を、途中碩水寺に立ち寄り、徒歩で4kmを1時間半程かかる。私達は後者の周回コ-スを以下の順序で巡る。
筑北村図書館駐車場 ⇒ 大切通し ⇒ 小切通し ⇒ 清長寺 ⇒ 古道 ⇒ 冠木門 ⇒ 主郭 ⇒ 2・3・4・5の郭、二重堀切等 ⇒ 模擬櫓門 ⇒ 碩水寺 Map


大切通し
天正8年(1580)に青柳伊勢守頼長によって切り開かれ、その後享保元年(1716)、明和6年(1769)、文化6年(1809)と3回に渡って切り下げられた。開削された岩で、観音像が造られた。
清長寺
青柳氏の菩提寺で、青柳氏館跡ともいわれる。寺裏に青柳家の墓地がある。しかし、青柳清長、頼長の墓は碩水寺にある。
古道
石の切り出しの際利用した堅堀を直線的に復元した道で、現在青柳城の散策道になり、途中22の距離区分の道標がある。
冠木門
3の郭に模擬的に建てられている。写真は4の郭から本郭(1の郭)方向を撮ったものです。
本郭(1の郭)
東屋から西方向の北アルプス側で、満開の桜が咲いていた。ここには、標高904.96mの三等三角点がある。また、りっぱな二本松がある。
石垣
主郭の北側にあり、横に線が通っている布目積みと言われる構造です。
二重堀切
鋭角の堀切で、さらに二重になっている。
模擬櫓門
青柳城址公園となり、青柳城への入口に建てられている。
龍沢山碩水寺
青柳清長が開基となり、旧南安曇郡有明村、清原寺二世、天如桂樹和尚が開山し、天文元年(1533)に寺が創立された。寺の裏山に、青柳清長、頼長親子の墓がひっそり墓地の最上段にある。

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