(概要)
明知城は、明智町の東側にそびえる標高530mの通称城山の頂上に位置し、白鷹城と呼ばれている。恵那市南部では岩村城に次ぐ規模の城郭である。明知遠山氏代々の居城であったが、元亀元年(1570)甲斐の武田氏の攻撃を受けて落城した。明知遠山氏は、織豊期に一時この地を離れるが、慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦で東濃平定の功により、徳川家康から旧領を復した。元和元年(1615)に当城を廃して、城下に陣屋を構えた。
城の遺構は、山頂に本丸跡・二の丸跡・出丸跡などが遺存する。本丸は土塁の高さが約10mで、東西の幅は約44m、南北の幅は西方で12m、東方で14mである。その東側に二の丸と称する約550㎡の丘状の台地があり、北側と東側は絶壁となっている。東南下に連なる長さ約40m、幅9mの山の鞍部に曲輪がみられる。全域は東西400m・南北300mに達し、石垣こそ多く見られないが、主要な曲輪を囲繞いにょうする大規模な横堀・堀切とこれと連動する畝状竪堀群である。斜面を伝って進入しようとする敵兵の動きを封じる目的で築かれました。このほかにも出丸の巨石列や貯水池、山麓に構えられた近世旗本遠山氏の陣屋など見所は多い。
城跡は現在公園となり、遊歩道が良く整備され、細目に史跡の案内板がある。
(アクセス)
中央自動車道・恵那ICから35分
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