明智城

(概要)
 土岐明智氏の出自の地であり、明智光秀が生まれ、落城するまでの約30年間を過ごしたと伝わります。『美濃国諸旧記』には、康永元年(1342)、「長山」に土岐頼兼が城を築き、弘治2年(1556)に明智光秀の叔父光安・光久が城主であった時、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受けて落城したとする。当時の城郭には、天守等の派手な建物はなく、周囲に土塁などを廻らしたものが多いが、本城にはそれらの遺構がほとんど残されていない。(案内板一部転記)
 遊歩道が良く整備され、細目に史跡の案内板がある。
(アクセス)
 東海環状線自動車道の可児御嵩ICから国道21号線を西進して、JAめぐみ前「瀬田」信号交差点を左折する。そこから東栄寺を目標に進むと東栄寺前に明智城散策専用駐車場がある。すぐ横の桔梗坂入口の大手口跡から入る。 Map


桔梗坂入口の大手口跡
二の丸跡
七ツ塚
本丸南南西の尾根の頂上に七ツ塚が残っていたとされます。これは現在本丸とされる場所の南側にあたる場所であり、7基の盛り土が残されています。一説には1556年の明智城での合戦の際に戦死した明智方の将7人を葬ったと言われています。(案内板抜粋)
本丸跡
十兵衛坂
六親眷属幽魂塔
六親眷属とは、仏教における用語で、一族や親戚すべてを指す言葉です。施餓鬼供養などで使われる用語なので、一族や類縁の者を何らかの目的で供養した石造物であるといえます。明智一族・家の子郎党を指すものと推測される。(案内板抜粋)
見張台跡
搦手門跡
明智氏歴代之墓所(天龍寺裏)
城址の北東麓にある天龍寺に明智氏歴代の墓所がある。日本一大きな(184cm)明智光秀の位牌があり、旧暦6月に光秀公御法要が営まれる。(案内板抜粋)

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