(概要)
米子城は、鳥取県米子市久米町にあった日本の城で、別名として久米城や湊山城とも呼ばれます。この城は、戦国時代の飯山(いいのやま:国道9号線南側)に営まれた砦と、湊山(みなとやま:国道9号北側)を中心に営まれた近世城郭があります。
米子城は、戦国時代末期の天正19年(1591年)頃、毛利一族の吉川広家が湊山を中心に築城したのが始まりとされています。慶長8年(1603年)の関ケ原の戦後、広家は岩国に転封となり、代わりに駿府から入った伯耆国18万石の領主中村一忠によって慶長7年(1602年)頃完成したと伝えられています。
米子城は、山陰で最初に築かれた近世初期の城郭で、江戸時代に発布された「一国一城令」の下、例外として存続を許された「支城」の中で、四層五重の天守閣をそなえたものは全国でも稀です。
現在、城跡は国の史跡に指定されており、本丸、二の丸などが国史跡に指定され、令和3年(2021年)三の丸の一部(旧湊山球場)が追加指定されました。また、米子城は、日本100名城にも選ばれています。
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