徳島城

(概要)
 徳島城は、徳島市に位置する歴史的な城で、阿波藩の藩庁として栄えました。城の歴史は古く、江戸時代初期には蜂須賀家政によって築かれ、その後慶長年間に蜂須賀家政の子である蜂須賀至鎮によって改修が行われました。
 徳島城は、慶長5年(1600年)、蜂須賀家政によって築かれました。家政は関ヶ原の戦いでの功績により、徳島に1万石を与えられ、城の建設を開始しました。城の位置は、吉野川の右岸にあり、水に囲まれた地に城郭を構え、自然の要害を生かして堅牢な要塞となりました。
 徳島城の特徴は、その地形に合わせて築かれた「水城」であることです。吉野川の天然の河川敷を利用して、城の西側を川に接していました。川を利用した水堀や櫓が城の防衛を固め、城郭全体が水に囲まれるような形状をしていました。この水城の概念は、戦国時代の城郭としては珍しいもので、徳島城を独特かつ美しいものとしています。
 慶長15年(1610年)、蜂須賀至鎮が藩主となると、徳島城は大規模な改修が行われました。城の本丸や二の丸が整備され、高さ20メートルを超える五層の天守閣が建造されました。これにより、城はより壮麗で堂々とした姿勢を備えることとなりました。また、至鎮は城下町の整備や商業の振興にも力を入れ、藩政時代の徳島は繁栄を迎えました。
 徳島城はその後も蜂須賀家の藩主によって改修が重ねられ、慶安3年(1650年)には城内に屋敷を構える武家の身分に基づいた「家格図」が制定され、藩政の基盤が整備されました。 明治時代になると、廃藩置県により徳島藩は消滅し、城もその役割を終えました。その後、明治時代初期には城の一部が解体され、更なる衰退が始まりました。しかし、戦後、城址一帯が公園として整備され、現在では本丸御殿や櫓の一部が再建されています。城内には蜂須賀家の資料館もあり、藩政時代の歴史や文化を知ることができます。
 現在の徳島城は、復元された天守閣や城内の櫓、堀などが訪れる人々にその様子を伝えています。また、城址一帯は桜の名所としても知られ、春には多くの花見客で賑わいます。城内には歴史的な風景が残り、徳島の歴史と文化を感じることができる場所として、観光客や地元の人々に親しまれています。
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