高島城

(概要)
 高島城は、信濃国諏訪郡高島(現在の長野県諏訪市高島)にあった日本の城で、別名として「諏訪の浮城」や「島崎城」、「諏訪高島城」とも呼ばれています。
 高島城は、戦国時代に築かれた城であり、その起源は戦国時代の中期、1569年から1575年頃にさかのぼります。この城は、武田信玄の家臣である勝頼の命により、武田家の拠点として築かれました。信玄は信濃国を統一し、その勢力拡大に伴って要地となる諏訪地方に城を築く必要性を感じ、高島城が建造されることとなりました。
 高島城は、現在の諏訪市高島に位置しており、標高約550メートルの丘陵地帯に築かれています。この地の地勢を利用し、天然の要害を活かした城郭が形成されています。城内は曲輪(くるわ、城郭の構造単位)が連なり、主郭や二の丸、三の丸といった区画が分かれています。城の外周には石垣や堀、土塁が配置され、城内への侵入を困難にするように構築されています。
 高島城の特徴の一つは、本丸にあたる主郭に建てられた天守閣です。この天守閣は、城内からの戦況の把握や城主の居館としての機能を果たしていました。また、城内には井戸や倉庫、兵舎などの施設も整備され、長期間の籠城に備えていました。
 信濃国は戦国時代において激動の時代を迎え、武田信玄の没後、勝頼の没落とともに高島城も次第に衰退していきました。その後、豊臣秀吉の家臣である石田三成が諏訪地方に配され、高島城を修復・増築しました。しかし、関ヶ原の戦い(1600年)で三成が西軍に与したことにより、高島城は改修の途上で破却されることとなります。
 その後、江戸時代に入り、徳川家康の家臣である真田信之が諏訪藩主として高島城を再興しました。城は再建され、城下町も栄えました。江戸時代中期には諏訪藩が交代制度により城主が変わり、高島城も度々修繕されながら存続しました。
 しかし、明治時代の廃城令により、高島城は廃城となりました。その後、城内の一部が保存され、地元の有志によって整備されました。現在では高島城址は市の歴史公園として整備され、城跡や復元された一部の建物が一般に公開されています。
 高島城は、信濃国の武田信玄や豊臣秀吉、そして真田信之など、歴史的な重要人物たちとのゆかりが深い城として知られています。城郭の配置や歴史的な経緯、地域社会との関わりから見ても、高島城は日本の武士文化や城郭建築の重要な一翼を担っています。Map


天守閣
天守南東側から望む。
天守閣
天守南東側から望む。
天守閣
天守南側から望む。
 
本丸御殿跡に造られた庭園から高島城を望む。
高島公園の桜
 
高島公園の桜