首里城

(概要)
 首里城(ゅりじょう)は、沖縄本島の那覇市に位置する歴史的な城で、琉球王国の王宮として使用されました。首里城は、琉球王国時代に築かれ、その後日本の明治時代に破壊されたが、1974年からの再建で一部が復元され、現在は首里城公園として多くの観光客に親しまれています。
 首里城は、琉球王国の首都である首里(現在の那覇市首里)に築かれ、歴史的な王宮としての機能を果たしていました。琉球王国は、15世紀から19世紀にかけて、中国と周辺地域との貿易や文化の交流を通じて独自の文化を築いていました。首里城は、その文化の中心地として栄え、琉球王国の王や官僚たちが政務や行事を執り行う場として使用されました。
 首里城の歴史は、1429年に尚巴志が首里に王都を建設し、以後その後継者たちによって拡張されていきます。城の本丸には尚巴志の墓があり、王家の神聖な場所とされていました。城は次第に拡張され、琉球王国の発展に伴ってその規模も大きくなりました。また、首里城は防御施設としても整備され、城郭全体には石垣や堀、城門などが築かれていました。
 琉球王国は、中国明朝との使節貿易を通じて独自の文化を育み、尚巴志の時代には初めて「首里城」の名前が使われました。琉球王国の歴代王は、中国の皇帝に対して冊封使節を送り、その中で尚巴志は「琉球国王」として冊封されました。これにより琉球王国は、名実ともに独自の王国としての地位を確立しました。
 しかし、19世紀中頃からは琉球王国は外圧を受け、日本や西洋列強との関係が深まります。1872年に琉球が日本に併合され、琉球は沖縄県となりました。首里城もその後、琉球王国の象徴としての機能を喪失し、日本の官庁や学校などが建てられるなど、新たな歴史の一部となりました。
 1899年には首里城の一部が火災で焼失し、残された建物も次第に取り壊されるなど、荒廃が進みました。さらに、第二次世界大戦中には激しい戦闘が行われ、首里城は壊滅的な被害を受けました。
 1974年になり、首里城跡地に琉球文化保存法に基づく復元事業が始まりました。城の一部が当時の様式に基づいて再建され、1974年から1992年までの期間に本丸御殿、北殿、南殿、儀間御殿、東南御殿などが復元されました。これらの建造物は、石垣や琉球瓦、彩色された木造建築などが見どころで、復元にあたっては伝統的な工法や技術が活かされています。
 首里城は、その歴史的背景と文化的な特徴から、観光地として多くの訪れる人々に愛されています。城内には琉球王国時代の生活や文化に関する展示があり、沖縄の歴史や伝統を学ぶことができます。また、城址一帯は広大な公園として整備され、桜や秋の紅葉の季節には美しい風景が広がります。首里城は、その重厚な歴史と風光明媚な自然との調和が、観光客に感動的な体験を提供しています。
Map


守礼門
門に掲げられている扁額(へんがく)の「邦之禮守(しゅれいのくに)」は「琉球は礼節を重んずる国である」という意味で、中国王朝に向けたメッセージだったと伝えられています。
正殿
 
守礼門

 
歓会門
首里城の城郭内の最初にくぐる第一の正門がこの「歓会門(かんかいもん)」です。歓会とは、その名の示す通り「歓迎する」という意味で、諸外国からの使者(国皇帝から派遣された使者である冊封使など)を、歓迎する意味を込めてあります。
正殿
全体の色鮮やかな朱塗りと随所に施された極彩色の装飾が見事です。