盛岡城

(概要)
 盛岡城は、岩手県盛岡市にあった日本の城で、国の史跡に指定されています。別名は不来方城とも呼ばれています。
 盛岡城は南部(盛岡)藩南部氏の居城で、現在の盛岡市中心部にあった花崗岩丘陵に築城された連郭式平山城です。本丸の北側に二の丸が配され、本丸と二の丸の間は空堀で仕切られ、現在は朱塗りの橋が架かっています。さらにその北側に三の丸が配され、本丸を囲むように腰曲輪、淡路丸、榊山曲輪が配されました。
 本丸には天守台が築かれましたが、幕府への遠慮から天守は築かれず、天守台に御三階櫓が建造され代用とされました。後に1842年に12代利済により天守へと改称されています。白い花崗岩で組まれた石垣は、土塁の多い東北地方の城郭の中では異彩を放っています。
 築城は1598年に始まり、南部信直が亡くなった後、嫡男の利直により完成しました。その後、1871年に廃城となり、建造物は明治初頭に解体され、現存するものは少なく、城内に移築された土蔵と、市内の報恩禅寺に移築されたとされる門が残っています。
 現在の盛岡城址は、近代公園の先駆者である長岡安平の設計により、1906年に『岩手公園』として整備され、当地で学生時代を過ごした宮沢賢治の詩碑や、石川啄木の歌碑などが公園内にあります。また、盛岡城は日本100名城に選定されています。Map