(概要)
岐阜県高山市にある松倉城跡は、16世紀後半に高山盆地に進出した飛騨地方南部の領主三木姉小路頼綱氏の拠点で、標高856.7メートルの松倉山山頂に築かれています。その後、頼綱は羽柴秀吉に対抗すべく越中富山城主佐々成政と手を組んだため、1585年(天正13年)に、秀吉から三木討伐の命を受けた越前大野城主金森長近が飛騨に侵攻し制圧した。長近はもともと美濃国出身の武将で、織田信長や秀吉に仕えた実力派です。彼は飛騨一国の支配を任されると、戦略的に有利な松倉山に城を構え改修が行われた。しかし、松倉城は築城からわずか数年後、長近が高山盆地の中心部に新たな城である高山城を築いたため、その役割を終えます。松倉城の存在期間は非常に短く、十数年ほどとされていますが、その間、金森氏による飛騨支配の初期拠点として重要な役割を果たしました。
松倉城は、典型的な中世山城の構造を持っており、自然地形を活かした堅固な造りが特徴です。山頂部には主郭(本丸)が置かれ、その周囲に二の丸・三の丸や複数の曲輪(くるわ)が段状に配置されていました。また、急峻な地形を利用して堀切や竪堀、土塁などの防御施設が施され、敵の侵入を困難にしています。本丸とその南西に伸びる三ノ丸には、5~8mの高さで、中には長さ2mを超える巨石を用い、隅角部に算木積みを志向する高石垣が築かれています。一方、本丸の東にある二ノ丸では、北側と南側に小型の石材を用いた低い石垣が、東側に大部分を中小石材で築いた2段の石垣が見られます。三木氏による当初の築城と、金森氏の改修によるものが見て取れます。また、三ノ丸の埋門や虎口が崩された石垣の石材などで埋められており、石垣が大きく崩されている本丸の北側と同様に、破城が行われた痕跡があります。
松倉城跡からは高山市街を一望できる戦略的な立地が特徴です。現在は遺構が比較的良好に残されており、国の史跡にも指定されています。頂上の主郭跡からは、現在の高山市街地や乗鞍岳、北アルプスの山々を一望できる絶景が広がり、かつての城主たちが眺めたであろう風景に思いを馳せることができます。
城跡には案内板や遺構説明が設置されており、初心者でも安心して散策が可能です。春には新緑、秋には紅葉が美しく、自然と歴史が融合した景観が訪れる人々を魅了しています。また、地元では松倉城跡を活用した歴史イベントやスタンプラリーも開催され、観光資源としての活用も進んでいます。
松倉城跡の最大の意義は、戦国から近世へと移り変わる時代の節目を象徴する城であるという点です。この城は、武力による地域支配から、豊臣政権のもとでの行政的支配への転換を担った金森氏の政治拠点として築かれ、その後、高山城へとバトンを渡すことで、新たな都市文化が育まれる基盤となりました。
また、松倉城のように短命で終わった城は現代に遺構を残すことが少なく、比較的完全な形でその姿を伝える松倉城跡は、歴史学的にも貴重です。山城研究や地域史研究においても重要な資料となっています。(写真の説明は松倉城発掘調査の成果を抜粋)
(アクセス)
車だと、東海北陸自動車道飛騨清見ICから40分程です、電車だと、JR高山本線高山駅から徒歩1分の高山濃飛バスセンターバス停から、さるぼぼバス/匠バス飛騨の里線に乗り飛騨の里バス停下車して徒歩20分程です。そこから遊歩道を以下の順路で巡る。
金山城址展望駐車場 ⇒ 松倉シンボル広場前の登城口 ⇒ 三の丸跡、西南角櫓跡 ⇒ 二の丸跡 ⇒ 大手門跡、井戸跡 ⇒ 旗立台 ⇒ 東南角櫓跡 ⇒ 本丸跡
➠ Map

前画面に戻る