(概要)
丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ヶ城の別名の通り、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しいスポットです。丸岡城の周辺は、日本庭園式公園の「霞ヶ城公園」として整備されており、歴史的・文化的資源を有効に活用している公園として、「日本の歴史公園百選」に選ばれています。
丸岡城築城前、この辺りの拠点は丸岡城より東方約4kmのところにあった「豊原寺」でした。豊原寺は、三千坊ともいわれる宿坊が立ち並ぶ大きな門前を有していました。
1573年、織田信長は、当時越前を治めていた戦国武将「朝倉義景」を討ち、都があった一乗谷を焼き払いました。すると、豊原寺をはじめとしたこの辺りの一向宗の勢力が増したため、1575年、再度織田信長が「越前平定」のため越前に攻め入り、豊原寺などの一向宗の拠点を焼き尽くしました。
その後、柴田勝家の甥「柴田勝豊」がその豊原の地に居を構えましたが、翌1576年「まるこの岡」と呼ばれていた現在の丸岡城の場所に城を移しました。
天守は近年の調査結果から、寛永年間(1624~1644)に建造されたとされています。江戸・明治・大正と丸岡の町のシンボルだった丸岡城は、昭和9年には国宝の指定を受けました。しかし、昭和23年の福井大震災により天守が倒壊してしまい、現在の丸岡城は、当時の建材等を使って昭和30年に再建されたものです。全国各地には、城やそれに関係する場所がいくつもありますが、現存する天守は全国で12しかなく、北陸では、丸岡城のみ。この丸岡城は、現存する最古の建築様式を有しているとされ、戦後に定められた「文化財保護法」で、天守は国重要文化財の指定を受けています。(福井県坂井市観光ナビHP転記)➠ Map
2020年12月19日
2024年4月10日

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