勝連城

(概要)
 沖縄県にある勝連城(かつれんじょう)は、日本の歴史的な遺産の一環として知られており、その歴史と文化的価値は非常に重要です。
 勝連城は、沖縄本島北部、名護市に位置する城跡で、琉球王国時代に築かれたとされています。城の歴史は古く、具体的な築城年代については定かではありませんが、15世紀から16世紀にかけて建設されたとされています。琉球王国時代の勝連城は、主に守りの要塞として機能し、琉球の政治的・軍事的中心地である首里から離れた地域を守る役割を果たしていました。
 城の位置は、勝連半島の丘陵地帯にあり、周囲を海に囲まれた戦略的に重要な場所にあります。勝連城は沖縄本島北部の諸城郭の一部であり、琉球王国の国内防衛網を構成していました。また、この地域は当時、交易や文化の拠点でもあり、城の存在はそれらの要素を結ぶ重要な拠点でした。
 勝連城は特異な形状を持っており、円形の主郭(本丸)があり、その周りに二重の石垣が築かれています。石垣は琉球独自の技術で作られ、美しい曲線を描く特徴があります。城内にはかつての建物の遺構が残り、かつての城下町の様子も垣間見ることができます。
 沖縄の歴史の中で最も重要な時期の一つである16世紀後半、琉球王国が中国や東南アジアとの交易で栄え、文化的な交流が盛んであった時期に、勝連城もその発展の一翼を担いました。琉球王国は独自の文化や伝統を築き上げ、その中で勝連城は地域の安定と発展に寄与しました。
 しかし、17世紀には琉球王国が冊封使節として清に派遣され、中国との関係が強化されると同時に、琉球王国は薩摩藩(現在の鹿児島県)との間での抗争が起こりました。その後、18世紀には薩摩藩の琉球侵攻があり、城は荒廃の運命をたどりました。
 現在の勝連城跡は、琉球王国時代の面影を今に伝える貴重な遺跡として保存・整備されています。城内には復元された建物や石垣、展示館があり、訪れる人々に歴史や文化の魅力を伝えています。琉球文化の重要な一環である勝連城跡は、その独自性と歴史的な重みから、多くの観光客や歴史愛好者に訪れられています。 Map


勝連城入口
右側に門口(じょうぐち)のカーといわれる泉がある。西原御門から城内へ入る際に、訪問者が手足を清めるために使用していたと言われている。
右旋回の階段
各曲輪を結ぶ石階段は、城壁に沿うように右側から旋回して上る構造になっている。高い右手側城壁より攻撃できる構造になっている。
傾斜階段
敵軍の突進力を減退させるため、階段面を傾斜させている。これは水はけを良くするためでもある。
一の曲輪城門
踏み幅の狭い石段を上り切ったところに、一の曲輪の城門があった。捲まき髭ひげ状の浮き彫りが施されたアーチ型の門であったと考えられている。
一の曲輪から東方向
標高約100mにあり、周囲360度見渡すことができる。周辺離島や本島北部の山々、南部の知念半島まで望むことができる。
一の曲輪から東方向
西方向には宿敵護佐丸の居城である中城城も見える。