美濃金山城

(概要)
 1537年に斉藤道三の養子斉藤大納言正義によって古城山の山頂に築かれた本格的山城で烏峰城と名付けられました。1565年に森可成が織田信長からこの城を賜り、以後森家3代の居城となりました。関ヶ原の合戦後、1601年頃に破城(城の一部を壊し、城の機能をなくすこと)されましたが、破城後ほとんど改変のない状態で約400年間保たれています。このような織豊系城郭の特徴が全て見られ、標高277mの山頂からは、明智光秀のふるさと明智荘や遠くは愛知県の山々が見渡せます。
標高約277メートルの古城山の山頂に築かれ、天守台を山頂に配置し、本丸を中心に二の丸、三の丸、南腰曲輪、西腰曲輪が連郭式に配され、天守台北東側に東腰曲輪と称する一郭がある。北麓部には米蔵跡と伝承される曲輪がある。石垣・礎石建物・瓦の使用などに織田信長・豊臣秀吉の時代にあたる織豊系城郭の特徴が見られます。(案内板一部転記)
 遺構説明は、発掘調査した可児市教育委員会の調査報告を抜粋した。遊歩道が良く整備され、こまめに史跡の案内板がある。
(アクセス)
 東海環状自動車道の可児御嵩ICから12分、中央自動車道の土岐ICから約30分です。 Map


金山城登山口
出丸駐車場手前にある。
三の丸跡
三の丸中央やや北よりの部分から、石の囲いとそれに伴う掘り込みと思われる遺構が検出された。何のために造られたものかは不明です。その周辺と埋土の中から瓦片がまとまって出土し、最も多くの瓦片が出た場所です。
二の丸跡
32ヶ所で礎石と思われる石を確認された。中央部分は、約 1.9m間隔の石列があり、3間×3間以上の建物があったと推定される。さらに南側の部分も直線的に並んだ川原石が確認され、中央部分の石列とともに御殿のような大規模な建物があった可能性がある。
二の丸物見櫓跡
大手桝形
3方向を石垣に囲まれた虎口で、門の礎石が見られる。左側が本柱の礎石、右側が控柱の礎石になる。
南腰曲輪跡
地表に出ていた川原石6個が、東西2.4m南北約5.0mの間隔で置かれた建物の礎石であることが確認できた。曲輪の東端に、2.4m間隔の礎石が3つ検出され、直線に伸びる塀もしくは建物の礎石ではないかと思われる。
東腰曲輪跡
川原石の並びが、1.3mないしは1.8mの間隔でいくつも見つかった。4 間×4 間以上のほぼ正方形の枠が推定出来たが、外周のみに柱が立つ建物が考えられる。本丸東側石垣の真下から、南北約9.0m、東西約3.0mの枡形の遺構が出土した。
本丸跡
本丸の平坦面で、川原石を礎石に用いた建物跡(礎石建物)を6棟検出した。石垣は、本丸を囲むすべての斜面において検出された。本丸の南西及び北西部分では、部分的に石垣を屈曲させて張り出すように造られている。
出丸跡
石垣は東側隅で後世の積み直しが見られるが、南面は良好な状態で残っていると思われる。駐車場部分では礎石に使用したと考えられる川原石が10個程度確認出来た。

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