岩村城
(概要)
岩村城は、大和の高取城(奈良県)、備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる。織田信長の叔母が城主として統治した城で、現在も城址には石垣が残り、日本百名城にも選ばれている。城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」ともよばれています。
この城が名城と言われる由縁は、単にその規模と大きさだけでなくその永い歴史に由来しています。1185(文治元)年、源頼朝の重臣の加藤景廉(かとうかげかど)がこの地の地頭に補せられ創築されてから、鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間に亙り城と城主が受け継がれていきます。明治に至り廃城令で廃城されるまで、700年の長き間連綿と存続しました。(恵那市観光協会HP一部転記)
遊歩道が良く整備され、細目に史跡の案内板がある。
(アクセス)
中央自動車道恵那ICを降りて国道257号線を経由して20分で、本丸そばの出丸まで行くことができる。初門から歩くのであれば、岩村城下町を抜け歴史資料館の駐車場に車を置くと良い。駐車場から岩村城跡まで850m、比高154mです。
➠ Map
一の門
登城道の最初に設けられた岩村城第一の門で、櫓門と門櫓が構えられていた。
土岐門
岩村遠山軍が土岐氏を破りその城門をここに移したという伝説から土岐門の名があります。土岐門は廃城の際に岩村町飯羽間にある徳祥寺へ山門として移されました。今も、徳祥寺にはこの土岐門が岩村城の貴重な遺構として現存しています。
霧ヶ井
岩村城には17箇所の井戸がある。八幡曲輪にある霧ヶ井は、城主専用の霊泉です。巌邑府誌には、敵が攻めてきた際、城内秘蔵の大蛇の骨をこの井戸に投じると、雲霧が湧き出て城を覆い尽くし、城を守ったと記してあります。(案内板抜粋)
六段壁
石垣が六段積みになっていることから、六段壁と呼ばれる。 急峻な地形に石積をする為に、工夫された石垣です。六段階の石垣の一階づつに犬走りを設けた工法で積まれ、修理や防御が想定されている。
本丸表門
六段壁から長局埋門に通じる広い石段です。
長局埋門
本丸は上下2段の曲輪からなっており、下段が長局と呼ばれている。
埋門
埋門(うずみもん)は、城の石垣・土塀の下方に設けた小門のことで、野面積み、打込ハギ、切込ハギの3種類の積み方が一度に見られる。
本丸跡
表門・裏門ともに埋門で厳重な構えをしている。山城であるので天守は必要なく、二重の本丸櫓と納戸櫓、東西両側に多聞櫓(たもんやぐら)がありました。奥の一段高いところにあった本丸櫓は、藩主邸が完備するまで藩主が居住してました。
岩村城下町
現在でも歴史的・文化的なたたずまい・町並みが、枡形や町の中を流れる疎水など、他では見られない城下町。全長約1.3kmの古い町並み周辺には当時の面影を残す商家や旧家、なまこ壁などが今も佇んでいます。(案内板抜粋)