(概要)
福山城(ふくやまじょう)は、広島県福山市にある歴史的な城で、国の特別史跡に指定されています。江戸時代初期、福山藩主藤堂高虎によって築かれ、その後も歴代の藩主によって拡張・改修が行われ、城下町の中心にそびえる姿は美しさと歴史的な価値を兼ね備えています。
福山城は慶長19年(1614年)、藤堂高虎によって築かれました。彼は豊臣秀吉の家臣であり、関ヶ原の戦い後、徳川家康に仕えることとなり、その功績によって福山藩1万石を与えられました。福山城はその藩の中心として築城され、城郭は標高約50メートルの福山市最高峰、御船山(みふねやま)の山頂に位置しています。
城の特徴的な要素の一つは、本丸と二の丸が続く形態を持っており、その配置から「鶴城(つるじょう)」とも呼ばれています。本丸には櫓や搦手門(からみてもん)が配置され、二の丸には曲輪や土塁が広がっています。また、城の外周には堀がめぐらされ、その防御機能も際立っています。
福山城の天守閣は、慶長19年に建てられた初代天守が焼失した後、寛永16年(1639年)に2代目天守が再建されました。この天守は五層六階で、重厚な木造構造となっています。現在の天守は、広島県内で唯一現存する天守閣として、その存在感や歴史的な価値が称賛されています。
福山城は藩政時代を通じて数度の戦乱や火災に見舞われましたが、そのたびに再建・修復が行われ、城の姿勢が形作られました。特に慶安2年(1649年)の福山大火では城下町の多くが焼失しましたが、城はその後も再建され、藩政時代から明治時代まで福山藩の中心地として機能しました。
明治時代には、廃城令によって多くの城が破却された中で、福山城は存続を果たしました。しかし、本丸や二の丸の一部など一部の建造物は失われました。現在の福山城は、天守閣や櫓、門などが再建・復元され、城内には資料館や展示室があり、城の歴史や福山藩の文化などが紹介されています。
福山城はその歴史と美しさから観光地としても有名であり、多くの訪れる人々に日本の武士文化や城郭建築の魅力を伝えています。城内からは福山市や瀬戸内海を一望でき、四季折々の風景が楽しめます。福山城は、日本の歴史と文化を感じる場として、地元住民や観光客に親しまれています。
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