福井城

(概要)
 福井城は、現在の福井県福井市大手にあたる越前国足羽郡北ノ庄(改め福居)のち福井にあった城で、本丸の石垣と堀が残っています。福井城は、徳川家康の次男である結城秀康が1601年から6年かけて築城しました。当時は加賀藩の前田家に次ぐ大大名で、68万石あった。
 城は東西南北に約1.5キロもあり、本丸の北西の天守閣は5階建てで、天守台を含む高さは約40メートルでした。築城当時は加賀藩の前田家に次ぐ大大名で、68万石あった。
 福井城は、石垣をはじめ、天守・櫓等の石瓦、基礎石など建物の多くに、地元福井市中心部の足羽山で採石された笏谷石が使用されました。また、福井城は歴史的重要性や遺構的価値などから平成29年(2017)に「続日本100名城・第137番」に選定されています。
 福井城は、江戸時代末期には幕末四賢侯の一人に数えられる第16代藩主松平春嶽をはじめ、岡部豊後、鈴木主税重栄、中根雪江師質、由利八郎公正などを輩出し、早くから新政府軍に加わり、北越戦争や会津戦争、江戸彰義隊の討伐などに従軍して大功を挙げています。Map


御本城橋と御門・瓦御門があった付近
本丸の出入り口で、御本城橋を渡った所に高麗門の御門があり、石垣と塀で閉ざされた右側に櫓門の瓦御門があった。
瓦御門跡
御門と瓦御門で枡形を構成し、瓦御門は横約28.8m、奥行7.2mと大変大きかった。
内堀を囲む石垣
本丸周辺だけに残された、内堀と石垣です。明治維新後、城下の建物は壊され、堀は埋められた。
礎石が残る天守台
敷石から天守台の北半分に天守が建っていたのだろう。天守は外観は4層で内部は5階になっていた。高さは30m、天守台を含めると40mの規模だった。
控天守台の石垣
福井地震で石垣が崩れている。
福の井
福井地震で井戸の形が大きく変形したものを、往時の石積みや井戸枠を復元整備したものです。福井城の特別な井戸となっていた。