広島城

(概要)
 広島城は、広島市に位置する歴史的な城で、日本の歴史の中で重要な役割を果たしてきました。江戸時代初期、藩主浅野長政によって建造され、その後も様々な歴史的出来事に巻き込まれながら、現在もその美しい姿を保ち、多くの観光客や歴史愛好者に愛されています。
 広島城は慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで功績を上げた浅野長政によって築かれました。城の建造は関ヶ原の戦い後であり、広島湾に面した要所に位置していたため、交通の要地としての役割も果たしました。広島城は当初、山城の特徴を持つ平山城で、石垣や堀、門などが城郭を形成していました。
 広島城の特徴の一つは、水に囲まれた平坦な地形に位置していたことです。城郭の周りには堀がめぐらされ、城を守る要素として機能していました。また、城内には二重櫓(二層の建物)や三重櫓(三層の建物)などの櫓が建てられ、その美しい構造が広島城を象徴しています。
 広島城は、浅野長政の子である浅野長矩が関ヶ原の戦いでの功績を理由に、3万石から16万石に藩の所領を増やされ、広島藩の藩庁としての機能を果たしました。城の周辺には藩政の中心となる政庁や武家屋敷、商家が形成され、城下町が発展しました。
 しかし、広島城は歴史的な試練にも遭遇しました。元和元年(1615)、浅野長政は父・長政とともに大坂の陣に参陣し、そこで長矩は自刃する悲劇が起きました。その後、広島城は福島正則、福島正勝と転封を繰り返し、幕末には毛利藩が入ります。
 広島城は慶応4年(1868)の戊辰戦争で戦災を受け、一部が焼失しました。明治時代になると、城郭の多くが解体され、広島市の発展とともに城域も市街地となりました。しかし、現在の天守閣は昭和20年(1945)の原爆投下で被災し、焼失した後、1958年に再建されました。
 広島城は現在、その歴史的背景や建築様式を伝える資料館として公開されています。天守閣内では、歴史資料や展示物が展示され、広島城の歴史や広島の戦国時代から現代までの変遷が紹介されています。城内からは広島市街地や広島湾が一望でき、観光スポットとして多くの来訪者を魅了しています。
 広島城は歴史的背景と原爆の被害を受けた歴史的建造物として、訪れる人々に歴史への思いを馳せさせる場所となっています。その美しい姿勢と歴史的価値から、日本の城郭や歴史建築の中でも特に重要な存在とされています。 Map


広島大本営跡から広島城
現在の城は、戦災で焼失後に1958年に再建されたものです。