萩城

(概要)
 萩城、または長府城は、山口県萩市に位置する歴史的な城で、その歴史的背景や文化的価値から注目されています。江戸時代初期、毛利氏によって築かれ、後に毛利藩主が移封されるなど様々な歴史的出来事に関与しています。
 萩城は、慶長13年(1608)に毛利輝元によって築城されました。輝元は豊臣秀吉の家臣であり、その功績により周防国(現在の山口県)を領する大名となりました。城の建造は、輝元が秀吉の中国地方統一の際に功績を上げ、その後に築城を許可されたものでした。
 萩城は、その地の地勢を活かして築かれ、山と海に囲まれた地形を生かして防御力を高められています。城郭は主に石垣や土塁、堀によって構成され、天然の要害を活かした配置が特徴的でした。また、城内には本丸や二の丸、三の丸といった広がりを持ち、各部分には櫓や門、武家屋敷が配置されていました。
 萩城は、その後の歴史の中で重要な役割を果たしました。特に、関ヶ原の戦い後、毛利氏は元和の大名として存続し、萩城はその中心地として藩政を遂行しました。しかし、寛永19年(1642)に毛利氏は周防から長府へ移封され、長府藩となります。これにより、萩城は一時的に長府城と呼ばれるようになりました。
長府藩は、城下町の発展や文化の振興を図り、藩政時代には藩校「明倫堂」の創設や藩主が俳号「松風亭主」を名乗るなど、文化的な面でも注目されました。特に、藩主毛利綱広(つなひろ)の時代には、藩政の安定と文化の振興が図られ、萩城と周辺地域は繁栄を享受しました。
 明治時代に入り、廃藩置県により藩制度が廃止されると、萩城もその歴史的機能を終えました。城郭の一部は解体され、城域は公園として整備されました。しかし、城内の本丸や櫓の一部は現在も残り、その姿勢は歴史の面影を今に伝えています。
 現在、萩城は国の史跡に指定されており、城内には歴史資料館や展示室があり、毛利氏や長府藩の歴史を紹介しています。城跡一帯は「萩城址公園」として整備され、四季折々の風景が楽しめます。また、毎年春には城址周辺で「萩まつり」が開催され、歴史や文化を感じることができるイベントとして親しまれています。
 萩城はその美しい風景と歴史的価値から、多くの観光客や歴史愛好者に訪れられています。城内からの眺望は美しく、訪れる人々に歴史の重みと美しさを感じさせてくれる場所です。 Map


萩城跡指月公園入口
明治7年(1874)に天守、矢倉などの建物は全て解体され、石垣と堀の一部が往時の姿を留めているのみだ。