(概要)
秋月城(あきづきじょう)は、福岡県朝倉市にある歴史的な城で、戦国時代から江戸時代にかけて築かれた要塞です。戦国時代の豪族である大友氏によって築城され、後に毛利氏、小早川氏、黒田氏などが城主となりました。
秋月城は、戦国時代の永禄11年(1568年)、大友宗麟によって築かれました。大友宗麟は豊前国の戦国大名であり、九州地方を中心に勢力を拡大していました。城の位置は、福岡市の南約50キロメートルに位置する山岳地帯にあり、標高は約400メートルほどです。これにより、城は自然の要害を活かした戦略的な位置に築かれました。
秋月城の特徴的な点は、山岳地帯にあるために独特の地勢を生かして築かれたことです。城郭は山頂に本丸があり、その周りに二の丸や三の丸、さらには曲輪や石垣、堀切が配置されています。特に本丸と二の丸は、地勢を利用して自然の要害を最大限に生かした造りとなっています。城内には天守や櫓も配置され、城の機能が充実していました。
戦国時代末期、大友宗麟は豊臣秀吉に仕え、文禄・慶長の役にも参加しました。しかし、文禄元年(1592年)に秀吉の命を受けて朝鮮出兵に従軍していた宗麟は、その途上で病死し、家督は息子の大友義統が継ぎました。その後、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで大友氏は改易され、秋月城もその機能を終えます。
その後、慶長19年(1614年)には毛利輝元の命により毛利氏の家臣である吉川広家が秋月城主となります。広家は城の改修や整備を進め、城下町の発展にも尽力しました。その後、慶長20年(1615年)の大坂の陣での功績により、福岡藩主となる黒田長政の配下となります。
江戸時代に入り、黒田氏、小早川氏、黒田氏などが秋月城主となり、城はその機能を保ちました。しかし、時代が下るにつれて城の価値は低下し、明治時代初期になると廃城令によって多くの建造物が解体されました。一部が現存するものの、現在の秋月城は昭和58年(1983年)になってから復元工事が始まり、天守や櫓、門などが再建・復元されました。
現在の秋月城はその歴史的な価値と美しい自然環境から観光地として知られ、城内には資料館もあります。城址一帯は公園として整備され、四季折々の風景が楽しめる場所として親しまれています。城の周辺には歴史的な名所や自然豊かなスポットが点在し、訪れる人々に歴史や文化を感じさせる場となっています。
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