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Barcelona(バルセロナ)Map

2010年7月8日(木) 曇
移動時間(バス)=9時間30分
Madrid(マドリード) avda.de America駅(9:00) ⇒ Barcelona(バルセロナ) Nord駅(18:30)

 マドリッドのHostalを5時50分に出発する。地下鉄に乗り、Madrid(マドリード) avda.de America駅に6時30分に到着する。早く着いたので、7時のバスに変更しようと窓口に並ぶが人が多くて断念する。だめもとで、運転手に直接交渉するが断られる。近くのCafeで朝食を摂り、待合室で待つことにする。日本人の若い女性がいたので話しかけると、彼女は昨夜Pamplona(パンプローナ)で闘牛を見て、今朝Madrid(マドリード)に来たと言う。昨夜は宿泊するところがなく野宿したらしい。ここに来た理由は日本を出国して南米経由で9ヶ月になるので、申込んでいたビザを日本大使館で受取るためだと言う。これからコルドバ、グラナダへ行くらしい。
 予定通り9時発のBarcerona(バルセロナ)行きのバスに乗る。地平線まで見渡せる広大な大地の中をただひたすらに進み、途中Zaragoza(サラゴサ)に昼休憩で止まった。Barcerona(バルセロナ)手前の車窓から、ぎざぎざした山並みのMontserratが望めた。Montserrat(モンセラート)はギザギザな山(のこぎり山)という意味があり、文字通り稜線はギザギザしている。そこにはキリスト教の聖地ベネディクト会のサンタ・マリア・モンセラート修道院付属大聖堂がある。
 Nord駅に18時30分に着いた。Barcerona(バルセロナ)の最初の駅Santsで降りようか迷ったが、終着駅まで行ったのが正解だった。駅構内のツーリストで2日間のHotel Triunfo (40.4€×2日) を予約する。Hotelに行くと、2日目に空がないのでツーリストで再予約するように言われた。しかたなく歩いてツーリストまで戻ることにした。そこで2日目のHotelをここから少し遠い、Hotel Fornos(50€)に変更した。ツーリストの手違いだったので、値段は40.4€のままだった。ついでにバス乗場で、Roma(ローマ)行きを訪ねると満杯で、Mirano(ミラノ)行きならあるという。Roma(ローマ)行きの寝台列車(189€)は日曜のみの運行らしい。Hotelにチェックイン後、近くの中国飯店でバイキング(15€)を摂る。Hotelの受付でRoma(ローマ)に行く交通手段を訪ねると、船もあるということを言われ、インターネットで調べてくれた。

2010年7月9日(金) 快晴

 荷物をHotelに預け、7時過ぎ出発する。昨夜聞いたRoma(ローマ)行きの船を確認することにした。途中鉄道の駅に寄り、係員に列車を確認するが要領を得ない。朝早い海岸を散策しながら、船の切符売場を人に聞きながら捜すがなかなか見つからない。それらしい埠頭を見つけるが、たどり着けない。船が停泊しているのが見え、そこに続く橋を渡ると検問場があり、ここは入れないと追返される。地図で確認すると、ここはMoll Adossatタ-ミナルでクル-ズ船の発着港となっている。橋を戻ったところで、再び道を聞き、やっとチケット売場に辿り着く。私には解りにくいところで、Hotelを出て2時間あまりたっていた。窓口でつたない英語で聞くが、なかなか通じず係員が粘り強く対応してくれた。明日の便があるので、明日の20時に来なさいと言われ、一旦Hotelに帰ることにした。
途中一際目立つ
コロンブスの塔コロンブスを顕彰したモニュメントで、
展望室から市内を見渡せます。
を通り、今日のHotel Fornosの場所を確認する。そこから近いカテドラルを拝観する。正式の名称は
サンタエウラリア大聖堂(La Catedral de la Santa Creu i Santa Eulàlia)およそ150年をかけて建設された。
バルセロナのシンボル的な建物で、「ラ・セウ」と呼ばれている。
ファサードをくぐると、ステンドグラスで囲まれた煌びやかな祭壇があり、
聖堂内には28の礼拝堂や繊細な彫刻が施された聖歌隊席がある。
地下にはエウラリアが眠る地下礼拝堂がある。
と呼ばれ、バルセロナで最も格式の高い教会です。建物外観、彫刻とステンドグラスが素晴らしかった。
 10時頃チェックアウトする時に、1dayのバスツアーを前払いで2€offの16€で購入する。本当は2daysにしたかったが、明日は18時で運行休止というので止めた。通りかかったバスに飛乗ったので、青ルートでのスタートとなった。このコ-スはガウディ-設計の奇抜な建物Casa Mila(カサ・ミラ)邸を通り、Sagrada Familia(サクラダ ファミリア)を通過する。Sagrada Familiaの入口はすごい行列が出来ていた。とりあえず周回して、今度は赤ルートに乗った。モンジュイックの丘にあるスペイン村、カタルーニャ美術館、ミロー美術館下車した。カタルーニャ美術館前の広場からBarcerona(バルセロナ)市街地の眺めは素晴らしかった。
ミロー美術館ミロの絵画や彫刻類を始め、タペストリー、版画などを中心に
1万点近くが所蔵されている現在美術館です。
個人美術館としては世界最大級です。
は前衛的な絵で理解出来なかった。最期に緑ルートに乗った。このコースは海外沿いを巡るもので、沢山の人が海水浴を楽しんでいた。沿線は高級リゾ-ト地となっている。この3路線でバルセロナの主要な見どころを巡ったことになる。明日はチケットがないので、拠点を決めてじっくり観光するつもりだ。昨日から少し風邪気味だったので、パンとバナナを夕食にして、22時頃就寝した。夜中多少下痢気味になり、不安を感じた。

2010年7月10日(土) 快晴

 9時頃荷物をHotelに預け、徒歩でSagra da Familia(サグラ ダファミリア)に行った。Hotel前の賑やかな通りを経由して、昨日の青ルートに沿って歩くことにした。かなり距離はあったが、あまり迷うことなく無事到着した。切符売場の行列に並んでいると、日本人の男性がいたので、少し会話した。割引の入場料12€を支払って、西側にあたる受難の門から入場した。尖塔に登る階段入口には大勢の人が並んでいたのであきらめた。館内の展示物、ステンドグラスを時間かけて見学した。みやげ物店でSagra da Familia(サグラ ダファミリア)の完成建物が埋め込まれたガラス細工を買った。あまりに暑いので、近くの路地で少し休憩した。
 それから地下鉄(1.4€)でLesseps駅まで移動し、そこから徒歩でTibidaboへ登るケーブルカー乗場へ行き、ケーブルカー(4€)に乗った。そこには壮麗なサグラット・コール教会があり、丁度結婚式を挙げていた。標高512mのTibidabo(ティビダボの丘)からはBarcerona(バルセロナ)市街地が一望出来た。ケーブルカーで下りた所の眺めの良いBarで遅い昼食を摂った。
 16時頃までに繁華街まで戻り、ピカソ美術館を鑑賞した。ピカソは15歳から8年程バルセロナに住んでいた。この美術館は有名な作品はないが、ピカソの作風の変化を知るには適している。18時頃Hotelへ荷物を取りに行き、チェックアウトした。
 そこからランプラス通り経由で船のチケットを取るため、桟橋窓口まで行く。途中ランプラス通りで定番の不動の大道芸人に出会う。言葉が通じず、チケットを発券してもらえるまで一苦労した。それでもなんとか、希望のCabinのチケットを購入することが出来た。構内のレストランで夕食(12€)を済ませ、18時に乗船手続きを終えた。今度は乗船場所が解らず、桟橋内をうろうろする。たまたま待合場の外に出ると、行列が出来ていたので、日本人らしき人に訪ねると韓国人で、ここだということで安心した。その人はシート席で65€、私はキャビンで125€だった。特にキャビンにこだわったつもりはなかったが、Hotelの受付嬢がそのようなメッセージを書いてくれていた。韓国人にキャビンはいいぞと言われた。そこからバスで船まで移動した。乗船場はチケット売場と間違って行ったMoll Adossatタ-ミナルの近くだった。出発が10時15分だが、なかなか動く気配がない。出港したのは0時を過ぎていたように思う。しばらく屋上デッキでBarcerona(バルセロナ)の夜景を眺めた。船内にはレストラン、Bar、カジノ、土産店等なんでも揃っており、船の旅も悪くないと思った。キャビンは4人ベッドでトイレ、シャワー付きであった。幸いなことに他の客はいなく、私の個室となった。

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