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サンチャゴ巡礼後の観光日誌

(観光都市 : Lisboa、Madorid、Barcelona、Roma)
- 2010/7/2~7/14 -

はじめに

 巡礼後のサンチャゴからローマまで4都市を巡る旅は、全く考えていなかった行きあたりばったりのものだった。日程、交通手段、宿泊、観光内容等、何もかも白紙の状態からの一人旅だった。稚拙な英語で殆ど度胸だけだったが、10日間程を思いっきり楽しむことが出来た。
 観光日誌に参考のため、解っている範囲で移動時間、値段を明記した。写真は文書内に赤書きした。
 帰国後変わったことは、体重が5Kg、体脂肪が8減になったことです。残念ながら1ヶ月程で元に戻りました。1年後に一念発起して、約2ヶ月でこの巡礼日誌を書き上げました。あまりメモをとってなかったので、記憶をたどる困難な作業になりました。巡礼前には殆ど巡礼にまつわる資料を読んでなかったが、この巡礼日誌を書くのに資料を漁る変な結果になりました。おかげで巡礼前より多くを学びました。娘は2012年9月から2週間程再渡欧しました。目的はスペイン男性と結婚した韓国女性の結婚式に招かれたためです。残り時間は、巡礼同行者のイタリア人キアラとフランス人ロニーの自宅に数日泊めてもらったようです。非常に歓待され、喜んでいました。

(巡礼後の観光)

2010年7月2日(金) 雨のち晴

移動時間(バス)=10時間00分
Santiago de Compostela(サンチャゴ デ コンポステーラ)(10:30) 🚌 Lisboa(リスボン)(19:30)

 スペインの聖地Santiago de Compostela(サンチャゴ デ コンポステーラ)のアルベルゲで、Lisboa(リスボン)のHotel3泊分をインターネットで予約する。またバスの切符(42.02€)は、昨日スペイン人セザールの助けで Lisboa(リスボン)行きを購入していた。娘とはRoma(ローマ)まで別行動をとる。娘はMadrid(マドリード)、Barcerona(バルセロナ)、イタリアVerona(ベローナ)経由でRoma(ローマ)に行く予定です。
 小雨の中、Estacion de autobuses(駅)を10時30分発Lisboa(リスボン)行きバスに乗車する。バスでは韓国女性が隣席で、北の道からSantiago de Compostela(サンチャゴ デ コンポステーラ)経由でColmbraに行くという。途中昼食のため停車したが、どのくらい停車するのかよくわからず、落着かない食事となった。途中から天気が良くなった。Lisboa(リスボン)は夏時間を取入れてなく、Spain(スペイン)より1時間早くなっていることに気付く。(後で確認すると、スペインとポルトガルの時差で、夏時間中だった)ということで、Lisboa(リスボン)には19時30分に着く。10時間かかったことになる。バス停でバスを捜すが見つからず、警察官や係員にHotelまでの行き方を聞くと、係員がタクシー(7€)を拾ってくれた。Hotel( Residencial Mar dos Acores)は女性の受付でチェックイン後、市内散策に出かける。そう距離を歩いたつもりはなかったが、帰り道がわからなくなった。いろんな人に聞いたが、結局わからずタクシーを使うはめになった。22時30分頃近くの日本食レストランで、とんかつ(7€)を食べる。
2010年7月3日(土) 快晴

距離=33.0Km 累計距離=55.0Km+1,587.5Km=1,642.5Km 所要時間=10時間25分

Lisboa(リスボン)

 8時30分Hotelで朝食を摂る。1日フリーパスのバスチケットを買って、海近くのLisboa(リスボン)市街地Colunasに繰り出す。10時頃たまたま居合わせたイエローバスに飛乗る。このバスはColunasからVasco da Gama(バスコ ダ ガマ)駅を往復する。Vasco da Gama(ヴァスコ・ダ・ガマ)駅付近はウオータフロントと呼ばれ、近代的な建物が目立つ。
 その後、海かと間違うテージョ川に面しているコメルシオ広場を散策する。土産物店等を巡り、時間を潰す。狭い路地を走る路面電車が印象に残る。広場から勝利の門を抜けると、賑やかなアウグスタ通りに通じる。コメルシオ広場の一角にあるBarで、12時30分頃昼食を摂る。25€の請求で、ポルトガルは物価が安いと聞いていたので、少し高いなと感じた。
 ツーリストに寄り、Madrid(マドリー)行の切符売場を聞く。イエローバスで通ったVasco da Gama(ヴァスコ・ダ・ガマ)駅へ再度出かける。鉄道の切符を買おうとするが、窓口の対応が悪く、また料金(59€)も高いためバス(36€)に変更する。Colunasまで戻り、Spain(スペイン)のCirauqui(シラウキ)で会ったSさんから聞いていた歌謡レストランへ行くことにした。ツーリストで聞いていた地域を捜すが見つからなかった。しかたなく近くを散策して宿に帰ることにした。バスを反対方向に誤り、終点から往復するはめになった。宿近くのレストラン(17€)で肉料理と、サラダを食べる。バス乗場のOrienteに行くのには、地下鉄のAlameda(アラメダ)駅からが一番早いと宿で聞く。
2010年7月4日(日) 快晴

距離=33.0Km 累計距離=88.0Km+1,587.5Km=1,675.5Km 所要時間=11時間00分

 Lisboa(リスボン)

 8時朝食後、地下鉄でOriente(オリエント)へ行ってみることにした。切符の買い方が解らず駅員に聞き購入(1.35€)する。9時頃到着する。Madrid(マドリー)からBarcelona(バルセロナ)までの切符が購入出来ないか、バス乗り場に向かう。7月8日9時発の切符を確保する。その後イエローバス(4€)でウオータフロントを一周する。みやげを買ったり、海岸のベンチで昼食のパンを食べたりしてくつろぐ。バス(1.45€)でColunasの埠頭に行き、マリン回遊の発着場で時間を確認する。
 15時発まで時間があったので、近くのリスボン大聖堂を見学する。リスボンで最も古い教会で、1147年に建設された。地震や火事などで、幾度も修復され現在に至る。ロマネスクとゴシック様式が混在した建物で、円柱の柱 で支えられ、特にバラ窓 が有名です。
 14時頃再び埠頭へ行き、遊覧船(20€)に乗る。天気も良く快適な遊覧で、船はまずウオータフロントに向かい、そこで折り返して再びColunasの埠頭を通過して、対岸のAlmada(アルマダ)に渡るヨ-ロッパ最長の吊橋(2,277m)の下をくぐり、ベレンの塔 (Torre de Belem) 付近を折り返すコ-スだ。
 船から見るLisboa(リスボン)市街地は絶景だった。ベレンの塔 (Torre de Belem)は16世紀初めに建てられ、テージョ川を監視し、大航海から故国に帰り着いた船員のシンボルだった。近くの発見のモニュメントとともに世界遺産に登録されている。17時30分に埠頭に着き、バスで18時頃Hotelに到着した。Madrid(マドリー)のHotelを予約するため、Hotelで聞いた地下鉄のAlameda(アラメダ)駅近くのインターネットで、1時間程をかけて予約することが出来た。近くで夕食を済ませ、21時前にHotelへ帰り、明日の準備を済ませる。
2010年7月5日(月) 快晴

移動時間(バス)=9時間00分

Lisboa(リスボン) Oriente(オリエント) 駅(10:00)  ⇒ Madrid(マドリード) Est.Sur de Autob.駅(19:00)
 8時に急いで朝食を済ませ、地下鉄でバス乗場のOriente(オリエント)に向かう。地下鉄の切符は案内窓口が閉まっていたので、近くの人にお願いして買う。昨日一度行っていたので、8時30分前に着いた。Barcerona(バルセロナ)からRoma(ローマ)までのバス便を聞いたが、言葉が通じず断念する。バスのスタートは9時30分と聞いていたが、どうも10時だと言っている。切符には9時45分と記しているが、どうなっているのだ。結局10時に無事バスが出発する。テージョ川河口にかかった全長17.2Kmのヨ-ロッパ最長のヴァスコ・ダ・ガマ橋を越えると、ほとんど広大な田園の中の走行である。Badajoz(バダホス)で1時間のランチタイムを取り、スペイン時間の19時にEst.Sur de Autob.駅に着く。
 まだ明るかったので、Hostalまで歩いて行くことにした。Atcha(アトチャ)駅近くで道を訪ねると、均一料金なので地下鉄に乗れと言われた。近くまで来ていたので、引き続き歩いた。Hostal近くで、地図を見ながら、多くの人に訪ねたが、結局時間ばかり過ぎていくばかりで、探し当てることが出来なかった。やむなくタクシーの運転手に聞くと、乗れといわれ、連れて行ってもらうことにした。Hostalの通りのところで下してくれて、料金は受取らなかった。Hostalの看板は解りにくく、数軒のHostalが同一建物にあり、その3Fの一角にそのHostal LOS ARCOS(3泊75€)はあった。チェックインした時は22時を過ぎていた。シャワーは共用だった。
2010年7月6日(火) 快晴

距離=33.0Km 累計距離=55.0Km+1,587.5Km=1,642.5Km 所要時間=10時間25分

Madrid(マドリード)

 9時にHostalを出発する。Mayor(マヨール)広場の観光案内所で観光ガイドをもらい、Tored(トレド)までの案内を乞う。中国人のガイドがおり、漢字での筆談となるが、何とか理解出来た。そこでMadrid Vision(マドリードビジョン)乗降りフリ-の市内観光2daysチケット(21€)を購入する。近くの乗場に行くのに迷いに迷う。10時過ぎにようやくMadrid Visionに乗車することが出来た。最初にPrado(プラド)美術館に行く。この美術館は歴代スペイン王家のコレクションを展示している。大変な行列と暑さの中で待たされた。出口のところで日本人の若い女性達がおり、ちょっと声をかけて別れた。美術館はたくさんの有名な画家の作品があったが、私には美術の造詣がないので印象に残っていない。次に、Conpo del Moro(コンポ デル モロ)へMadrid Visionで向かう。
 バスから目立つ建物、モニュメントをカメラに収める。アルカラ門、コロンブスの碑、シベーレス広場の噴水、メトロポリスビル、スペイン広場等被写体はもり沢山で、いつの間にかConpo del Moro(コンポ デル ミロ)に着いていた。
Conpo del Moro(コンポ デル ミロ)は王宮の一角にある広大な公園で、1時間程散策する。その近くで、13時15分頃ビールを飲みながら昼食(5.94€)を摂る。
 昼食後、王宮と王宮横のアルムデナ大聖堂に入場する。王宮はスペイン国王の宮殿でオリエンテ宮とも呼ばれ、豪華な芸術作品で飾られている。国王ははこの宮殿には住んでいない。アルムデナ大聖堂は、紆余曲折を経て建設されたようだ。聖堂内はステンドグラスが印象に残った。
 そこからTored(トレド)に行くため、Madrid Visionに乗り、Atcha(アトチャ)駅へ向かう。15時50分発のTored(トレド)行きの電車に乗り、16時20分に到着する。駅前でたまたま居合わせた16時30分発のイエローバス(5€)でTored(トレド)の観光に出発する。2階建てのオープンバスで日本語のガイドも聞ける。
 Tored(トレド)はMadrid(マドリード)に移る前の首都で、イスラムとキリスト教の両文化が共存している所である。高台から見る景観は圧巻である。Tored(トレド)を一周するコースで、駅まで戻ると思ったが中心地に下された。しかたなく、そこで似たようなバス(4.25€)があったので、再び乗ることにした。ほとんど同じコースで、乗る必要がなかった。教会に行くが、既に閉館していた。トレドの街並みを散策して、Tored(トレド)駅まで歩いて帰る。エレベータで下って少し行ったところにバス停があったが、よくわからなかったのでそのまま駅まで歩いた。19時30分発20時着の電車に乗る。宿までの帰りは、再びMadrid Visionに乗る。宿近くは喧噪で、多くの人で賑わっていた。そこで夕食(10.85€)を摂り、宿に帰ると0時を超えていた。
2010年7月7日(水) 晴

 Madrid(マドリード)
 朝8時に地下鉄(1€)で、明日の出発バス停であるAvenida de Americaへ下見に行く。そこで簡単な朝食を済ませ、今日の第一目的のReina Sofia(ソフィア)王妃芸術センターへバスとRetiro(レティーロ)公園内を歩いて行く。Reina Sofia(ソフィア)王妃芸術センターはピカソやダリの作品が多くあった。ピカソのゲルニカを除いて撮影可能であった。その後、徒歩でThyssen-Bornemisza美術館へ行く。ここはレンブラントやルーベンスといった宗教画が目立った。バスに乗り再度Palacia Real(王宮)に行き、遅い昼食パエリア(15€)を食べる。その付近を散策後、歩いてMayor(マヨール)広場経由でHostalに帰ると16時になっていた。荷物を置いてビールを飲みに行く。とにかく暑い1日で、電光掲示板の温度が42.5度を表示していた。22時頃の就寝となる。明日は、地下鉄でavda.de America駅に向い、9時発のBarcerona(バルセロナ)行きのバスに乗る。
2010年7月8日(木) 曇

移動時間(バス)=9時間30分

avda.de America駅(9:00) ⇒ Barcelona(バルセロナ) Nord駅(18:30)
 マドリッドのHostalを5時50分に出発する。地下鉄に乗り、Madrid(マドリード) avda.de America駅に6時30分に到着する。早く着いたので、7時のバスに変更しようと窓口に並ぶが人が多くて断念する。だめもとで、運転手に直接交渉するが断られる。近くのCafeで朝食を摂り、待合室で待つことにする。日本人の若い女性がいたので話しかけると、彼女は昨夜Pamplona(パンプローナ)で闘牛を見て、今朝Madrid(マドリード)に来たと言う。昨夜は宿泊するところがなく野宿したらしい。ここに来た理由は日本を出国して南米経由で9ヶ月になるので、申込んでいたビザを日本大使館で受取るためだと言う。これからコルドバ、グラナダへ行くらしい。
 予定通り9時発のBarcerona(バルセロナ)行きのバスに乗る。地平線まで見渡せる広大な大地の中をただひたすらに進み、途中Zaragoza(サラゴサ)に昼休憩で止まった。Barcerona(バルセロナ)手前の車窓から、ぎざぎざした山並みのMontserratが望めた。Montserrat(モンセラート)はギザギザな山(のこぎり山)という意味があり、文字通り稜線はギザギザしている。そこにはキリスト教の聖地ベネディクト会のサンタ・マリア・モンセラート修道院付属大聖堂がある。
 Nord駅に18時30分に着いた。Barcerona(バルセロナ)の最初の駅Santsで降りようか迷ったが、終着駅まで行ったのが正解だった。駅構内のツーリストで2日間のHotel Triunfo (40.4€×2日) を予約する。Hotelに行くと、2日目に空がないのでツーリストで再予約するように言われた。しかたなく歩いてツーリストまで戻ることにした。そこで2日目のHotelをここから少し遠い、Hotel Fornos(50€)に変更した。ツーリストの手違いだったので、値段は40.4€のままだった。ついでにバス乗場で、Roma(ローマ)行きを訪ねると満杯で、Mirano(ミラノ)行きならあるという。Roma(ローマ)行きの寝台列車(189€)は日曜のみの運行らしい。Hotelにチェックイン後、近くの中国飯店でバイキング(15€)を摂る。Hotelの受付でRoma(ローマ)に行く交通手段を訪ねると、船もあるということを言われ、インターネットで調べてくれた。
2010年7月9日(金) 快晴

Barcerona(バルセロナ)
 荷物をHotelに預け、7時過ぎ出発する。昨夜聞いたRoma(ローマ)行きの船を確認することにした。途中鉄道の駅に寄り、係員に列車を確認するが要領を得ない。朝早い海岸を散策しながら、船の切符売場を人に聞きながら捜すがなかなか見つからない。それらしい埠頭を見つけるが、たどり着けない。船が停泊しているのが見え、そこに続く橋を渡ると検問場があり、ここは入れないと追返される。地図で確認すると、ここはMoll Adossatタ-ミナルでクル-ズ船の発着港となっている。橋を戻ったところで、再び道を聞き、やっとチケット売場に辿り着く。私には解りにくいところで、Hotelを出て2時間あまりたっていた。窓口でつたない英語で聞くが、なかなか通じず係員が粘り強く対応してくれた。明日の便があるので、明日の20時に来なさいと言われ、一旦Hotelに帰ることにした。途中一際目立つコロンブスの塔を通り、今日のHotel Fornosの場所を確認する。そこから近いカテドラルを拝観する。正式の名称はサンタエウラリア大聖堂と呼ばれ、バルセロナで最も格式の高い教会です。建物外観、彫刻とステンドグラスが素晴らしかった。
 10時頃チェックアウトする時に、1dayのバスツアーを前払いで2€offの16€で購入する。本当は2daysにしたかったが、明日は18時で運行休止というので止めた。通りかかったバスに飛乗ったので、青ルートでのスタートとなった。このコ-スはガウディ-設計の奇抜な建物Casa Mila(カサ・ミラ)邸を通り、Sagrada Familia(サクラダ ファミリア)を通過する。Sagrada Familiaの入口はすごい行列が出来ていた。とりあえず周回して、今度は赤ルートに乗った。モンジュイックの丘にあるスペイン村、カタルーニャ美術館、ミロー美術館下車した。カタルーニャ美術館前の広場からBarcerona(バルセロナ)市街地の眺めは素晴らしかった。ミロー美術館は前衛的な絵で理解出来なかった。最期に緑ルートに乗った。このコースは海外沿いを巡るもので、沢山の人が海水浴を楽しんでいた。沿線は高級リゾ-ト地となっている。この3路線でバルセロナの主要な見どころを巡ったことになる。明日はチケットがないので、拠点を決めてじっくり観光するつもりだ。昨日から少し風邪気味だったので、パンとバナナを夕食にして、22時頃就寝した。夜中多少下痢気味になり、不安を感じた。
2010年7月10日(土) 快晴

 Barcerona(バルセロナ)
 9時頃荷物をHotelに預け、徒歩でSagra da Familia(サグラ ダ ファミリア)に行った。Hotel前の賑やかな通りを経由して、昨日の青ルートに沿って歩くことにした。かなり距離はあったが、あまり迷うことなく無事到着した。切符売場の行列に並んでいると、日本人の男性がいたので、少し会話した。割引の入場料12€を支払って、西側にあたる受難の門から入場した。尖塔に登る階段入口には大勢の人が並んでいたのであきらめた。館内の展示物、ステンドグラスを時間かけて見学した。みやげ物店でSagra da  Familia(サグラ ダ ファミリア)の完成建物が埋め込まれたガラス細工を買った。あまりに暑いので、近くの路地で少し休憩した。
 それから地下鉄(1.4€)でLesseps駅まで移動し、そこから徒歩でTibidaboへ登るケーブルカー乗場へ行き、ケーブルカー(4€)に乗った。そこには壮麗なサグラット・コール教会があり、丁度結婚式を挙げていた。標高512mのTibidabo(ティビダボの丘)からはBarcerona(バルセロナ)市街地が一望出来た。ケーブルカーで下りた所の眺めの良いBarで遅い昼食を摂った。
 16時頃までに繁華街まで戻り、ピカソ美術館を鑑賞した。ピカソは15歳から8年程バルセロナに住んでいた。この美術館は有名な作品はないが、ピカソの作風の変化を知るには適している。18時頃Hotelへ荷物を取りに行き、チェックアウトした。そこからランプラス通り経由で船のチケットを取るため、桟橋窓口まで行く。途中ランプラス通りで定番の動かない大道芸人に出会う。言葉が通じず、チケットを発券してもらえるまで一苦労した。それでもなんとか、希望のCabinのチケットを購入することが出来た。構内のレストランで夕食(12€)を済ませ、18時に乗船手続きを終えた。今度は乗船場所が解らず、桟橋内をうろうろする。たまたま待合場の外に出ると、行列が出来ていたので、日本人らしき人に訪ねると韓国人で、ここだということで安心した。その人はシート席で65€、私はキャビンで125€だった。特にキャビンにこだわったつもりはなかったが、Hotelの受付嬢がそのようなメッセージを書いてくれていた。韓国人にキャビンはいいぞと言われた。そこからバスで船まで移動した。出発が10時15分だが、なかなか動く気配がない。出港したのは0時を過ぎていたように思う。しばらく屋上デッキでBarcerona(バルセロナ)の夜景を眺めた。船内にはレストラン、Bar、カジノ、土産店等なんでも揃っており、船の旅も悪くないと思った。キャビンは4人ベッドでトイレ、シャワー付きであった。幸いなことに他の客はいなく、私の個室となった。
2010年7月11日(日) 快晴

移動時間(船、電車)=21時間50分

Barcerona(バルセロナ)(0:00) ⇒ Roma(ローマ) Civitavecchia(チヴィタヴェッキア)(19:30 20:40) ⇒ Roma(ローマ) Termini(テルミニ)駅(21:50)

 夜中に一度目が醒め、次に起きると10時だった。ひさしぶりに良く寝た。船上のBarでパンとコーヒの簡単な朝食を摂る。そこでBarcerona(バルセロナ)で買ったワインを飲みながら、ゆっくり時間を過ごした。島影はなく360度海である。とにかく暑い。甲板には小さなプ-ルがある。そこには老若男女が水着姿で寛いでいて、プールで泳いでいる人もいた。13時を越えるころには、地中海式気候のせいか、日陰の中にいないと我慢出来ない。その中で日光浴をしている者がいて、考えられないと思った。老若男女問わず、タバコを吸う者とタツーの多さが印象に残った。14時過ぎBarでパスター、肉、ポテトフライで昼食(18€)とした。その後キャビンに戻り昼寝をする。インホメーションでCivitavecchia(チヴィタヴェッキア)からRoma(ローマ)のTermini(テルミニ)駅までの行き方を教えてもらう。港を出て10分程歩いて鉄道駅へ行き、1時間程度でTermini(テルミニ)駅へ着くという。切符を買うためのイタリア語のメモまでくれた。約1時間遅れの19時30分着ということで、キャビンに待機していたら、1時間前ぐらいに客室を追い出された。
 港を出て右に向かって歩き出し、念のため鉄道駅を訪ねると、バスに乗れといわれた。もとのところに引返すと、まさに出発しようとしていたバスに乗ることが出来た。切符売場は既に閉まっており、券売機で人に聞きつつ4.5€で買ったが、おつりはチケットで出た。有人駅で払い戻しを受けろということらしい。そこで、また韓国人に会い、ピザをシェア(9€/2)する。そこで売店で切符が買えることが解った。20時40分発に乗り、無事Termini(テルミニ)駅に21時50分到着する。Hotelの場所を聞くため、インフォメーションを韓国人が一緒になって捜してくれたが、時間ばかり経過して解らなかったので別れる。その後、本屋でRoma(ローマ)の地図(3.5€)を買い、無事Hotel Mille(ツイン120€/2日)を捜し当てる。23時頃で、娘はサッカのワールドカップを見ていた。近くのBarでビール(6€)を飲み、駅近くでビールと水(9€)を買った。0時近くになってしまい、就寝は1時頃となる。
2010年7月12日(月) 晴

 Roma(ローマ)
 9時頃Hotelで朝食を済ませ、私一人でRoma(ローマ)観光に出かける。11時頃から1日フリーパスのバスチケットを買った。Termini(テルミニ)駅前をスタートし、見所が多いヴェネティア広場で降りる。まずヴィットリオエマヌエーレ2世記念堂に寄り、歴史地区を散策しながらColsseo(コロッセオ)に向かった。Colsseo(コロッセオ)のチケット売場は、人がいっぱいで入場することを諦める。そこは多くの旅行者で溢れ、戦士のかっこうをした大道芸人が目についた。
 それから再びバスに乗り、San(サン) Pietro(ピエロ)寺院に向かう。そこは見学出来たが、Vaticano(バチカン)博物館は大行列のため断念した。しかたなく、その周りを一周する。Trevi(トレビ)の泉にも寄ってみたが、大変な人だかりだった。日本人もちらほら散見された。それから近くの教会の中に入ってみる。
 そこから暫く歩いて、スペイン広場近くの地下鉄Spagna駅付近からトンネルと階段を上がり、Villa Borghese公園に行った。何も見るべきものが無かったので、再びバスに乗る。Termini(テルミニ)駅へ戻ると、17時を過ぎていた。さらにバスに乗り、一周すると18時30分頃になった。娘と19時30分頃、Hotelで聞いた近くのレストランで夕食(32€)を摂った。娘が夜のColsseo(コロッセオ)を見たいというので、徒歩で出かけた。Hotelには22時の帰着となった。扇風機だけしかなく、寝苦しい夜だった。
2010年7月13日(火) 快晴

移動時間(電車、飛行機)=9時間40分

Roma(ローマ) Termini(テルミニ)駅(8:50) ⇒ Roma(ローマ) Fiumicino(フィミチーノ)空港(9:30 13:15) ⇒ Moscow(モスコー)(18:30
 8時にHotelで朝食を済ませる。8時30分頃Hotelをチェックアウトし、Termini(テルミニ)駅へ向かう。8時50分の電車に乗り、9時30分頃にFiumicino(フィミチーノ)空港に着く。早速搭乗手続きを済ませ、ゲート内へ入る。そこで土産物のチョコレート、ワイン等を買っていると11時30分になっていた。アエロフロートsu282便に12時に搭乗し、13時15分に離陸した。Moscowには18時30分(モスクワ時間16時30分)に着陸した。待合室に少し言葉が不自由な日本人婦人がいたので話しかけた。彼女もスペイン巡礼の帰りだという。成田へ向け19時45分発を少し遅れた20時10分(モスクワ時間18時10分)に離陸した。やっと長い旅が終わりに近づき、ほっとすると同時に、多少さびしさもあった。
2010年7月14日(水) 晴

移動時間(飛行機、電車、バス)

Moscow(モスコー)(20:10) ⇒ 成田(10:30 11:47) ⇒ 日暮里(13:01) ⇒ 新宿(13:30 13:50) ⇒ 松本(17:02)

 成田には日本時間10時30分に着陸した。娘の荷物はモスクワでの接続時間が短かったため届かず、明日郵送されることになった。私は機内持込みしていたので助かった。娘はバスで、私は11時47分発上野行きに乗り、日暮里に13時01分に着いた。山手線で新宿に行き、バスで松本、大糸線で中萱に無事帰着する。3ヶ月ほどの長い長い巡礼の旅が完結した。
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